バラバラだったもの
鬱になって気づいたこと
いつからか、私は心を失っていた。
心と体がバラバラになって、生きていた。
心を無視して生きていた。
どんな状態かというと、心の声に耳を傾けていなかった。
「本当は行きたくないけど、、」
「本当は嫌だけど、、」
心の声って大声で聞こえてくるものじゃなくて、、、、何か引っかかる。
そんな、ささやかな声で主張しています。
心の声がある。
でも、それを「あぁこれが私の心の声なんだ」って感じる前に
ストップをかけちゃう何かがあります。
鬱の人は、その何かに縛られて苦しめられていることがあります。
それは思考です。
【思考】〇〇でなければならないルールにしたがって動く。
幼い時から私たちは「〇〇でなければならない」ルールのシャワーを浴び続け大人になります。
そして少しづつ思考が固まっていくのです。
例えば、世間体。
社会人として、嫁として、男性として、上司として、年上として、日本人として、長女として、跡取りとして、、などなど。
「〇〇でなければならない」は
守らなければいけないものとされていること。
守ったほうがいいとされていること。だったりします。
心の声を感じそのままに行動に移すより、思考に従って行動していくようになります。
例えば、この場面ではこう言った方が無難だろう。
ここはこうあるべきろう。といったように思考が叩き出した行動をするのです。
それって本当にそうなの??
心の声はなんて言ってる??
そんなふうに心の声を感じてる人はいいんです。
心の声ではなく、思考にしたがって行動することが当たり前になると、
どうなるのでしょか?
それは、自分に嘘をつき続けることになります。
自分を嘘で覆って、心の声が感じれなくなる。
いずれ(心)の存在さえ忘れてしまうんです。
私はまさにそうでした。
心を無視。これがとても厄介なんです。
自分の心を無視し続けて鬱になった私は思考を、
切り離すことができませんでした。
〇〇すべき、、、を全部取っ払った時に、あなたはどうしたい?
〇〇すべき、、、を全部取っ払った時に、あなたは何が好きかな?
この質問に 答えられない。
なぜなら、心の声を感じようとしても、
思考が間髪入れずに支配してくるんです。
まるで無数の声が頭の中で響いてるみたいに。
’’自分がどうしたいかだって??そんな事も未だに分からないなんて、
いつまで経っても大人になりきれていない。お前が悪いんだ。
’’何が好きかだっって??そんなのは女性のすべきことではない。お前には努力が足りないんだ。’’
頭の中で響く(〇〇しなければいけない)声の嵐。思考の介入です。
声の正体が思考だと気づけたのは、カウンセリングを受けたからです。
それまでは頭の中で響く声も自分の、声だと思っていました。
でも違ったんです。
そして、疑問が湧きました。
私の思考とやらを動かしている無数の声たちはどこから来たのだろう。
一体いつから、私は心を無視していたのだろう。
一体、どこに行ってしまったんだろう私の心は。
これが思考に気づけた時の、私でした。
ここから始まる、【思考との向き合い】は少しずつお話ししていきますね。
とにかく思考の力というのは強いんです。
本音をすっかり隠してしまい。
心を感じたくても、反応しなくなってしまう。
でもね、大丈夫です。
まず、隠れていた対象を発見する。痛みを感じる。
向き合いが始まる。そこには大きなヒントが隠れているから
大丈夫。大丈夫。大丈夫。絶対に、大丈夫です。
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