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くるぶし出してこ

noteを始めてしばらく経ちました。
フォロワーが爆増したり沢山いいねを貰えたり等の目立った出来事はありませんが、今後も続けられそうです。

なぜそう思うのか考えると、二つのハードルの低さが大きな要因なのかなと。

ひとつめは、行為としてのハードルの低さ。
最初の投稿↓でも触れていますが、私は音声配信(Radiotalk)や動画配信(TikTok)をしていた時期があります。(アカウントを消したか覚えてないので残ってるかも)

楽しい経験でしたが、録音や録画のために環境を整えたり、時間を取られたりすることが日々の負担になっていました。
でも、noteの執筆ならその必要はありません。電車の中やカフェの中、布団の中でも出来ちゃいます。また、私は俳優をしているのですが、現場の待機時間が長いときを利用して書くのも良さそう。
極端な話、スマホさえあれば書けるので、悪事を働いて塀の中にいます……的なことが無ければ作業出来そうです。これは大きなメリットになりますね。

ふたつめは、心理的なハードルの低さ
音声・動画配信をしていたとき、世間で話題になっていることや流行っているネタを扱ってバズったことが何度かありました。いいねやコメントが増えると気分が良いものです。
しかし、次も似たようなものを投稿しようと期待に応えていくうちに、だんだん自分の興味が失せてしまったんですよね。こうなると、投稿が億劫になり継続が難しくなります。

その点、私のnoteは誰にも注目されていません!
寂れた駅のホーム、平日深夜のファミレス、人の気配がない公園。外の世界でありながら、妙に落ち着く場所。私にとってnoteはそんな存在です。

よくある例えですが、素直に表現活動を行うことを「心を丸裸にする」と表すことがありますね。
往来の激しい公園と人の気配がない公園、どちらが丸裸になりやすいか? 答えは明白です。
(現実では他人の有無に関わらず、公園で丸裸になることは公然わいせつ罪に該当します)
注目されていないからこそ、「なんだか気持ちの良い公園ですね。ちょっと脱いでみましょう」といった気分になるというもの。
(重ね重ね、公園で丸裸になることは公然わいせつ罪に該当します)

先程から裸がどうこう書いていますが、私は現実でもnote上でも丸裸になる気はありません。
捕まって塀の中ではスマホが触れませんし、明け透けに心を見せることと面白い表現が生まれることは、決してイコールではないと思うからです。
「丸裸は嫌だけど、靴下くらいは脱ぎたいかも……」程度の気持ちで文章を書いています。

裸足になって、公園の芝生や砂利を踏みしめる。吹き抜ける風の感触を楽しむ。それだけのことでも、人が多い公園でやるのは少し恥ずかしい。
やっぱり、注目度の控えめな今の感じが心地良いよね〜って話です。
今後もバズらず燃えず晒されず、出すならせいぜいくるぶし辺りの意識で続けていこうと思います!


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