発達障害を受け入れるために
実は私は発達障害と診断されたことがある。
ADHDとASD、2つの特性があるという診断だった。
どうして言い切りではなく、診断「されたことがある」という曖昧な言い方になってしまうかというと私自身が受け止めきれていないからだ。
診断されたのはいまから3ヶ月程前だった。
診断されてから心がボロボロになった気がする。
今も診断結果が間違っているんじゃないか?と少しだけ思ってたりするし、ここで書くかもすごく悩んだ。
それでも書こうと思ったのは今日精神科の先生が言ってくれた言葉が忘れられないならだ。
入院してから、精神科の先生とは週に一度面談をしている。最近の気持ちをいつものように話している時に、話の流れは忘れてしまったけれど、自分は発達障害だということが認められないし辛いとお話しした。
すると精神科の先生は自分にもASDの傾向があるし、私を診てくださっているチームのリーダーにもADHDの傾向があると言った。
特にチームのリーダーは忘れ物が酷いし、しょっちゅう財布を落としていると。
私は2人ともそんな風には見えなかったからすごく驚いた。
そして先生はこう続けた。
「発達障害を〝障害〟だとカテゴライズするのはあくまで本人が生きやすくなるために、治療するためにしていることなんだよ。本人がどう思うかで障害なのかどうかが変わってくるよ」
私は目から鱗が出た気持ちになった。
発達障害だと診断されてから苦しみ続けていた気持ちが救われた気がした。
だって私はASDの特性が強い、コミュニケーション能力が低いかもしれないと言われても、友達も彼氏もごく普通にいたし、進んでみんなと話す方だった。たまに嫌われてしまうことはあってもみんなそういうものだと思っていた。
ADHDの特性があるから人と話すのが好きなのかと思ったけれど、それもなんとなく腑に落ちなかった。
それが障害だと言われても納得できなかった。
私自身がそう思わなければ障害じゃないんだ。あくまで生きづらさを解消するための手段なんだ。
その発想は私の気持ちをすごくスッキリさせた。
それでも100%私は発達障害ではないと言い切れない。
診断されたからには自分自身でもそう思うことはあるし、改善しなきゃいけないところがあるのもわかっている。
ただ〝障害〟かどうか決めるのは自分。
そう思えることは私にとってとても大切なことだった。
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