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悲しみからとったダシがこんなにうまいとは 連載④

特に何か嫌なことがあったわけでも、格段勉強ができなかったわけでもない。ただ、小学生の私は1年生の頃から「この牢獄があと5年以上続くのか」と嘆いていた。
そして私の我慢の限界は小学4年生のある日に突然訪れる。ネジはいきなりプツっ飛んで行ったのである。
どうしたって、何したって、学校に行きたくない。

原因なんか死ぬほどあるだろう。
当時の男性教師の担任を生理的に受け付けられず、毎日気持ち悪く感じていたとか、友達と言える女の子たちのいざこざに巻き込まれるのが異常に面倒くさかったとか、数え上げればきりがない。
でもいちばんの理由はたぶん、そもそも「通う」という行為が向いてないということだろう。
「通う」ことに向いていない私だから、バイトもいつも続かなかったわけだし。
「通う」ことに向いていない私だから、学校なんて物に希望なんて持つ方が間違いだったのだ。

学校に行きたくない。どうしても行きたくない。
そんな小学4年生が学校に抗える方法なんてたったひとつ「ズル休み」だけだった。

ズル休みを決行しよう、と思った。

1日目、2日目は軽くこなせた。
「気持ち悪い」とか言っておけば教育ママではまったくない、どちらかと言えばアンチ学校であるうちの母は納得してくれた。
問題は3日目~であった。
そろそろ怪しまれていることは身に染みて感じていた。
「病院」という文字もちらついている。
病院に連れて行かれるわけにはいかなかった。連れて行かれてしまったら、嘘は簡単にバレる。
なぜなら事実は「仮病を使っている」というまやかしなのだから。

そこで考えた。
長い間休めて、病院に連れて行かれない方法を。
そして私が導き出した答えは「ありえない熱を出す」だった。
ありえない熱を出せば隔離される。そうすれば誰にも会わず、自由に暮らせる。
そのときの季節は冬。インフルエンザも流行っていた。風は追い風だった。

勝負の4日目。
私は自室の箪笥にストックされていたカイロを取り出すと、まず脇を温め、その次に体温計自身をカイロで温めはじめた。
あまりにも高い熱を出せば怪しまれるし、高熱で体温計が壊れてしまってはもともこもない。
だから私はカイロを2つ使い、ひとつは体温計に。もうひとつは脇に当てた。
体温計が45度を示したとき、2つのカイロをそれぞれ体温計と脇から外し、そのまま温められた体温計を脇に入れた。
徐々に下がって行く体温計の温度。
42度を体温計が示したところでちょうど体温計が鳴った。
それを具合悪そうな態度で母親に見せに行く。私を怪しんでいる母は半笑いで体温計を見る。
8秒ほど、時間が経った。
母の頭の中で理解するのに必要だった時間だ。
「え?」
母が私の顔を見つめる。私は頷き、母の顔を見つめる。
このとき、目線を外したり、右上を見たりしてはいけない。
母が知っているか知らないが、上記のように目線を外したり、右上を見たりしてしまうとそれは嘘をついている合図なのだ。
私は懸命に頑張った。
嘘を真にしなくては。
この嘘を真にしなくては、脱獄は失敗に終わってしまう。
「え?」
母がもう一度確かめるように私を見た。その目は冗談だと言ってくれと私を促していた。
だが、私は心を鬼にして頷くだけにした。
母は、普段よく喋るわが子が頷くことしかしないことにも事態の重要性を見たらしく、顔を青くした。
そしてすぐに病院に連れて行こうと私を急かしたが、私はその誘いを断り、「寝ていたい」と弱弱しく言った。
母は慌てふためき、私を私の部屋に隔離すると、熱さまシートや氷枕などを買いに出掛けて行った。
しめしめと私が我が物顔で自室でファイナルファンタジーをやっているとも知らずに。

私のこの嘘は結局15日目に体温計が80度を示し、壊れ、怒り狂った母親に追いかけまわされ、トイレに逃げ込み、鬼神と化した母がトイレをぶち壊し、最終的には、ラスボスの父に母と娘、二人してはちゃめちゃに怒られる、というところで終わる。


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