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03_金髪の魔女は、今日もビールを飲んでいる。

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「それはあんたが悪いやろ!」

ばあちゃんは怒鳴った。そして、そこいら中の空気を吸い込むと、大きく大きくため息をついた。

僕は木下が悪いと言いたかった。
でも、ばあちゃんをバカにされたとは言えなくて、ぐっと口を噤んだ。木下が僕に言ったことを一言一句伝えられたら、もしかしたらばあちゃんも僕だけが悪いんじゃないと思ってくれるかもしれない。でも、僕にはそれが出来なかった。だって、どう考えたってばあちゃんがそれを聞いたら悲しむに違いない。ばあちゃんは悪いことをしてないのに、知らない奴に否定されるなんて、絶対におかしい。

僕は先生には、木下がなんて言ったかを伝えた。
でも先生は、「それでも手を出したら、お前が悪くなるんだから」と言った。先生は多少、僕の気持ちもわかってくれてる感じがしたけど、今回はほとんど僕が悪いってことになった。

僕だって、手を出したら負けだってことぐらいわかってる。

だから、いつもつむじをこづくだけにしていたのに……。最悪だ。マジで最悪。頭に血が上ってこんなことするなんて思わなかった。僕は、42.195kmを走りきったランナーみたいにうなだれた。達成感なんてないけど。

「どう考えたって、誰が聞いたって殴ったユースケが悪い。先生に木下くんのお母さんの家の連絡先は聞いて、先に電話でばあちゃん謝っといたけど、絶対、直接あんたが謝らんといかん。今からお菓子買って直接謝りに行くよ!」

僕は渋々、ベッドの上に座った。

めんどくさい、めんどくさい、めんどくさい。
なんで僕が木下に謝らないといけないんだ。殴ったのは悪いけど、あいつに謝るなんてまっぴらごめんだ。だって学校では一度保健室で謝ったんだ。もう一回謝るなんて、本当に嫌すぎる。

「もう学校で謝ったけん、謝らんでいい」
僕は絞り出すように言った。

「それは知っとる。そういうことじゃないと。誠意を見せんといかん。先生からは、木下くんも言ったらいかんことを言ったけん、悪いところもあったって聞いとる。でも、ユースケだけが悪いんじゃなかったとしても、ケガをさせたんやったら、ちゃんと謝らんといかん」
ばあちゃんは声のトーンを落として、真剣な声色で言った。

「先生、木下がなんて言ったか、ばあちゃんに言ったと?」
僕が焦った表情を向けると、ばあちゃんは首をふるふると左右に振った。

「先生からは『木下くんが木村くんを傷つけるようなことを言って、木村くんが怒って殴ったようです』としか聞いとらん。でも大方、ひとり親だとかばあちゃんの悪口とかそんなことを言われたんやろ?」
僕はドキッとして目を見開いた。
隠していたのに、なぜわかるこのババア。

「な、なんでわかると?」
僕が口をパクパクさせながら聞くと、ばあちゃんはいつものようにニヤリと不敵な笑みを浮かべて、金髪の髪を耳にかけた。ダイヤのピアスがキラリと光る。

「それはもちろん、ばあちゃんが魔女やけんたい」


🚶‍♀️……🚶🏽‍♂️


僕は、ばあちゃんに連れられて近所のケーキ屋さんに行った。いつもなら浮き足立つほど嬉しいのに、今日ばかりはケーキ屋さんに入っても、全然嬉しくない。

ショーケースに並ぶキラキラとしたケーキはどれもこれも美味しそうだった。クリスマス仕様の木の形をしたチョコレートのケーキにサンタクロースが乗ったいちごのショートケーキ。僕は思わず生唾を飲み込んだ。

そして大きくため息をついた。
ケーキ屋でため息をつくなんて、初めてのことだ。

「木下くんは、何が好きなん?」
ばあちゃんはショーケースの向かいの棚に並べられている箱詰めのお菓子を眺めながら、僕に聞いてきた。

「知らん」
僕は床に向かって吐き捨てるように答えた。
そもそも僕が木下の趣味を知っているわけがない。あんな奴の好きなものなんて、興味がない。

「まあ、賞味期限の長い詰め合わせでいいかな。口が切れとるなら、ゼリーが入ったやつの方が食べやすいかもしれん」
ばあちゃんはブツクサ言いながら、いつもなら絶対に買わなさそうな三千円もする詰め合わせを手に取ると、すぐにレジに持って行った。僕はばあちゃんが手に持って行ったのと同じ箱の中身をじっと見つめた。

チョコレートのクッキーにアーモンドが乗ったクッキー。小さくカットされたふわふわと柔らかそうなケーキに、風邪をひいたって買ってきてもらうことはなさそうな果物たっぷりのゼリー。
これを木下にあげるなんて、勿体ない。僕が食べたい。


僕はばあちゃんが下げている紙袋を見つめながら、後ろをついて歩いた。天気がよかったはずなのに、心なしか空には灰色の雲が広がっているような気がした。びゅうと風が吹く。いつもならこのぐらいの風はへっちゃらなのに、なんだか寒い。僕は思わず身震いした。

ばあちゃんに連れられて行った木下の家は、大きなマンションだった。七階建て。このマンションがあるのはもちろん知っていたけど、木下が住んでるなんて知らなかった。一年生の頃から同じ学校に通っているのに、僕は木下の家を知らなかったんだな、と思う。ほんとに仲がよくない証拠だ。

僕が住んでいるのは二丁目で木下が住んでいるのは七丁目。離れているし、遊ぶ公園も違うから、知らなくても当然だけど。

ばあちゃんが玄関のインターホンを押した。乾いた電子音が冷えきったロビーに響く。
「はい」
これまた冷えきった声が、壁に張り付いた銀色のマイクの穴から漏れ聞こえてきた。女の人の声だ。お母さんだろうか。

「すみません。木村ですが……」
ばあちゃんがインターホンに向かって深深とお辞儀をする。ばあちゃんが名乗ったのを確認して、こちらが誰かとわかったのか、少しトーンを上げた声で「どうぞ」とマイクから聞こえてきた。
それと同時に自動ドアが開いて、僕とばあちゃんは吸い込まれるように中へ入った。

中に入った瞬間、僕の足取りは重くなった。
木下のお母さんと思われる人の声色からは、怒っているのか怒っていないのかはわからなかった。僕の心臓はざわざわした。落ち着かない。緊張する。思い足取りと、どっどっどっといつもより早く動く心臓を抱えて、僕はエレベーターが7階に到着するのを待った。なんだか、指の先が冷たい。

エレベーターが静かに開いて、僕とばあちゃんは702号室の部屋の前まで歩いた。
「ここやね」
ばあちゃんはドアの前のプレートを一瞥する。"702"の下に"木下"と書かれているのを確認して、ばあちゃんはドアのそばにあるインターホンを押した。

「はい」
ロビーで聞いた声と同じ女の人の声がドアの向こう側から聞こえた。玄関のドアがギギギと開く。綺麗な女の人が出てきた。木下のお母さんだと僕にはわかった。なぜなら、木下のお母さんは欠かさずに授業参観に出席するからだ。少しつり目で、お母さんは猫っぽいなと思っていたから。猫からネズミが産まれるのかって。

木下のお母さんが出てきた瞬間、ばあちゃんが頭を下げる。
「この度はうちの孫が息子さんを怪我させたようで、大変申し訳ありませんでした。これ、つまらないものですが……」 
頭を下げたままうやうやしい態度で、買ってきたばかりの詰め合わせが入った紙袋を差し出した。

「ほら、ユースケも謝って」
ばあちゃんは僕の背中をぐいっと前に押し出し、ついでに僕の頭を下に押し付けた。
「ごめんなさい」
僕は渋々、冷たいコンクリートみたいな床に向かって謝った。

僕が下を向いたままでいると、木下のお母さんから、少しだけため息みたいなものがこぼれて床に落ちてきた気がした。
「あらあら、ご丁寧にわざわざすみません。大地、ほら、木村くんが謝りに来たわよ」

木下のお母さんは振り返って、家の中にいるだろうと思われる木下を呼んだ。家の中からは返事もなければ、物音一つしなかった。
僕はちらっと頭を上げて部屋を覗き込んだが、木下が玄関に出てくるようなそぶりはない。

「大地、殴られたなんて初めてだったから、びっくりしてるみたいで」
木下のお母さんが少しだけ微笑んだような気がして、僕はほっとした。

優しそうなお母さんだ。
授業参観の時はいつも小綺麗にしていて、真剣な顔で木下のことを見ていたからよくわからなかったけど、こんな優しそうなお母さんから、あんな性格の悪い息子が生まれるなんて僕は信じられないと思った。

ばあちゃんはすかさず、
「申し訳ございませんでした。ユースケには強く言って聞かせますんで」
神妙な面持ちと真剣な声色でそう言うと、深く深く頭を下げて再びお菓子の詰め合わせの紙袋を、ぐいっと木下のお母さんの前に差し出した。僕も一緒に頭を下げる。

木下のお母さんから、今度ははっきりとため息が溢れる音が聞こえた。ため息はまたコンクリートの上に落ちた。冷え切ったコンクリートから冷たい空気が上ってくる。僕は足から体が冷えてくるのを感じた。

「まあ、子どもの喧嘩なんで、ウチの子にも非があるのかもしれませんけれど……。今後はこのようなことがないように、しっかりとご注意くださいね。本来ならおばあさまではなくて、保護者のお父様に謝りに来ていただきたいところですけれど。主人が男の子同士なら、多少の喧嘩くらいはあるだろうって言ってますので。今回はこれで不問とさせていただきますが、次に同じようなことがあれば、こちらも今回のような対応ではすみませんので……」

僕が顔を上げた瞬間、優しそうだった木下のお母さんの目が、冷たく僕を睨んだような気がした。僕は思わずその視線にゾッとした。明らかな敵意を感じたからだ。まるで猫に睨まれたネズミの気持ちだ。ひゅっと背筋を寒気が走った。ゾワゾワと鳥肌が立つ。

木下のお母さんは、ばあちゃんが突き出したお菓子の詰め合わせの紙袋を受け取ると、わざと大きな音を鳴らすようにバタンとドアを閉めた。ドアを閉めた勢いで、暖かい空気が外へと流れてきた。ふわっと家の中から匂いがした。どこかで嗅いだことのある匂い。木下の髪から匂ってきた高級そうなシャンプーと同じような匂いだった。


ドアが閉まってしばらくして、ばあちゃんは高級な匂いを吹き飛ばすように大きくため息をついた。
「よし、帰ろっかね」
ばあちゃんが僕の背中をポンと叩いた。背中にじんわりと暖かさを感じた。

その後、僕とばあちゃんは一言も喋らずに、もと来た道をトボトボと帰った。空はもう薄暗くなっていて、雲は相変わらず灰色だった。

帰り道、どこかの一軒家からにゃあと猫の鳴き声がした。鳴き声の方を見ると、ネズミが1匹道路に飛び出してきて、猫がそれを追いかけていた。いつもなら、木下に似ているネズミに同情するなんてことはない。でも、今日ばかりはネズミに同情したくなった。

ネズミと猫はばあちゃんの方を一瞥すると、追いかけっこをやめてぺこりとお辞儀をした。
ばあちゃんは「あんまり喧嘩せんとよ」とネズミと猫に声をかけた。ネズミと猫はそれを聞いて渋い顔をした。そして再び追いかけっこを始めた。

不思議な光景に、僕は思わず口を開けて呆けてしまった。
「なんなん? 今の。なんかネズミと猫が、ばあちゃんに挨拶せんやった?」
「ああ。あの二匹は揉めとってね〜。ちょっと相談にのったりしよるけんね〜。喧嘩はいかんよ、喧嘩は」
ばあちゃんはそう言うと、スタスタと歩き出した。

よく意味がわからない。
でも、突っ込んで質問するほど僕の元気はない。
僕は「ふーん」と気の抜けたサイダーみたいな返事をして、右足を一歩前に出した。

家に着くなり、
「お父さんにはばあちゃんから報告しとくけん。今日は冬休みの宿題をちょっとくらい進めときなさいね」
とばあちゃんは言って、リビングのこたつの脇に置いてある座椅子に腰掛けた。

僕は階段を上がり、二階の僕の自分の部屋に入った。
宿題なんかする気にならなかった。

暗い空、灰色の雲、明日から冬休み。
きっとお父さんにどやされる。
沈痛な面持ちでベッドに転がると、どんよりとしたため息を部屋中に撒き散らした。

それにしたって、ネズミと猫がばあちゃんに相談って、一体どういうことなんだ?



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