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狼少年と救急車とドップラー効果

「お前の息子は預かった。返してほしくば一兆円よこせ」

夕方の4時頃、仕事中に小学4年生の息子の携帯から着信が入る。
何事かと出てみると、脅迫電話だった。

声の主は、預かられた息子本人だ。

「忙しいけん、切るね」
私は、仕事中に電話に出たことを後悔し、すぐさま電話を切った。

「どうかしたんですか?息子さん」
気にかけてくれる同僚に、私は答える。

「いや、脅迫電話かけてきただけ」


脅迫電話の日もあれば、そうじゃない日もある。

「お母さん!ノートがなくなった」
「ねえねえ、何時に帰ってくると?」
「じゃがりこ食べたい!!」
「宿題せんでいい?」

という様々な要件の電話が頻繁にかかってくる。

「仕事中にくだらない用事で、電話をかけてくるな」
と何度も言っているが、私のお願いはどこか明後日の方へ投げ飛ばされている。

彼の頭は、私の言葉が残らない構造になっているようだ。


狼少年からの電話


忘れもしない、今年の3月。終了式の日。

私の携帯に息子から着信が入る。
いつものしょうもない電話だろうと思ったが、何かあっていてはいけない。
私は、念のために電話に出た。

「お母さん!!こけて怪我した!!今すぐ公園に来て!!」

「いやいや、今仕事中やし。そんなにひどいと?
今すぐとか無理やけん、ばあばに電話して」
と私は言った。

電話をかけてこれるくらいだし、泣いてもいないし、かすり傷程度だろう。
見えもしない電話の向こう側を、私はそう勝手に判断した。

とりあえず、私からもばあばに電話をしておこうと思い、ばあばに電話をかける。
しかし、ばあばの携帯は繋がらない。

もしかして、息子が困っているかもと思い、息子の携帯電話に折り返した。
「ばあば、繋がらんけど大丈夫?」

「痛い。痛いよ」
息子が電話口で泣いている。

「どうしたと?どこを怪我したん?」
焦る私。

「手。なんかへんな形になっとる。動かんし痛い。公園におった誰かのお母さんが救急車呼んでくれたけん、救急車に乗る」
冷静に説明してくれてはいるが、痛いと泣いている。

「救急車?!何ごと?!!わかった!!お母さんすぐ帰るね!!」
わけがわからないが、息子は今から救急車に乗るというのだ。
非常事態に決まっている。

私は、職場に事情を説明し、早退すると伝えた。
慌てて職場を出ようとしたが、何かやり残したことがある気がする。
「そんなことはいいので、気をつけて帰ってください」
と同僚に心配されながら、私は職場を後にした。


駐輪場へと向かう私


私はガツガツとヒールを鳴らしながら、駐輪場へと急いだ。
職場には自転車を停めることができないので、私は最寄りの駅の駐輪場に自転車を停めている。

歩いて5分弱。

再び私の携帯が鳴る。
今度は学校からだ。

「お母さん、今お話大丈夫ですか?」
担任の先生だった。

「○○くんが怪我をしたと連絡があったので、今から、私が公園まで向かいます。お母さん、後どのくらいで公園に着きますか?」
「今から自転車で帰るので30分弱はかかります。すみません」
「大丈夫ですよ、お母さん。私が救急車に乗りますので、安心してください。携帯電話をお知らせしておきますので、何かあればご連絡ください」
「先生、ありがとうございます。申し訳ありません。助かります。ありがとうございます」

私は携帯電話を耳にあて、歩きならが頭を下げ続けた。

再び携帯電話が鳴った。
今度は、息子の携帯だ。

「○○くんのお母さんですか?」
「そうです」
「救急隊員です。今、確認していますが、肘を脱臼していると思われます。今から受け入れ可能な病院を探しますが、お母さんはどのくらいで到着しますか?」
「30分弱はかかります。学校の先生が同乗してくださるそうなのですが、私も一旦その公園に向かいます」
「では、病院が決まりましたらご連絡します」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

私は赤べこのように頭を下げながら、自転車の鍵を解錠した。

脱臼がいいわけではないが、とりあえず脱臼でよかった。
とてもとても深刻と言うわけではなさそうだ。

自分で電話をかけてくる息子の命に別状がないのは明白だが、客観的に示してもらえて私はとにかく安心した。
それに、大人がついてくれているというのも心強かった。

となれば、息子が怪我をした公園まで一直線だ。

自分が救急車にお世話になるわけにはいかない。
私は慎重かつスピーディーに自転車を漕いだ。

今思えば、タクシーを拾うという手もあったかもしれない。
そうすれば10分くらい時間が短縮できたかもしれない。

まあ、都合よく拾えるかどうかもわからないけど。
とにかく、私はその時、冷静ではなかったことには違いない。


自転車を漕ぎまくる


私は呪文を唱えた。

あわてず すばやく ていねいに

これは、私が息子たちに、口を酸っぱくして言っている呪文だ。
息子たちにこの呪文を実行しろと言ってはいるものの、難題だとも思っている。

慌てないのに、素早くて、しかも丁寧にだと?!
そんなことできるかーい!!

と。

しかし、慌てたくなる時こそ、この呪文は有効だ。
落ち着け自分、と同義語なのだ。

じゃあ落ち着けの方が短いし覚えやすいじゃないか、と思わんでもない。
しかしこの呪文は、落ち着けより具体的なので、より効果的だと思っている。

私は自転車を漕ぎながら、何度も心の中でこの呪文を唱えた。

15分ほど漕いで、半分を過ぎた頃、再び携帯電話が鳴った。
息子の携帯からだ。

「お母さん、搬送先の病院が決まりました。○○○病院です」

な、なんと!!
職場から歩いて3分の病院ではないか!!

どうする私。
引き返すのか、前へ進むのか。

前へ進むと、自宅までの時間+病院までの時間がかかる。
しかし、息子の保険証は自宅だ。
保険証がなかったら、お金はいくらかかるんだろう。
自転車で戻ると、多少早いが、帰りが困る。

ああ、どうでもいいことで悩むな私!!

とはいえ、いずれにしても救急車には間に合わない。
私は引き返すのをやめ、一旦自宅に戻る選択をした。

私は、すぐさま到着時間に合わせてタクシーを予約。

そして、しばらく漕いだ頃。
前方からは高めのサイレン音。
向こうから救急車が走ってくる。

もしかしてあれは息子が乗った救急車じゃなかろうか。

追いかけたい。
サムズアップして救急車をヒッチハイクしたいい。

しかし、あれが息子の乗った救急車かどうなんてわからない。
もし息子を載せてくれているなら、早く息子を運んで欲しい。

低くなったサイレンの音を聞きながら、息子が泣いてませんようにと願った。
私にはそれしかできなかった。

1分でも早く、息子の元へ!!
私は急いだ。
そして、家につくなり保険証を握りしめ、タクシーに乗車。

救急車をみてしまったこともあり、心拍数は早くなった。
家族からは心配のラインの嵐。
指先が冷たくなるのを感じた。


息子と対面


病院に到着すると、担任の先生が待っていてくれた。

「もう泣いてなかったですよ。痛いけど我慢できるって言ってました。強かったですよ○○くん」

そうなのかな?そんなもんかな?
脱臼したことないし、よくわからんけど。

私は先生にお礼を言い、息子の元へ急いだ。
ベッドに寝かされた息子は、泣いてはいなかった。

「頑張ったね。大丈夫?」
「うん、大丈夫」

絶対、大丈夫なわけがない。
さすがにお母さんにはわかるぞ。
次男はとびきり我慢強い。
外では泣かないと決めている男なのだ。

「無理せんでいいよ。痛かったよね。泣いていいよ。お母さんおるけん、安心していいよ」

その声を聞いた息子は、堰を切ったように泣き出した。
ダムは決壊し、涙は止まるところを知らない。

動かない左腕を触らないように、私は息子をぎゅっとした。

整形外科の先生が私に気づき、やってきた。
「おそらく脱臼だと思いますが、細かいところまでは確認できません。骨折しているかどうかは骨をはめてみて、確認することになるんですが・・・」

「はい」

「今、麻酔科の先生がおりませんで。このまま麻酔なしではめるか、麻酔科の先生を待つかなんですが・・・。麻酔をすると、入院になりまして。
うちの病院がお母さんは一緒に泊まれないので、息子さん一人で泊まってもらうか・・・。
いずれにしてもはめた時に神経を傷つけたり、骨が折れることもあるので、腕が動かなくなるリスクがあります」

冷静に息子の横で説明をする先生。

「嫌だー!!!一人で泊まるとか嫌だー!!手が動かなくなるとか嫌だー!!怖い!!」
叫び出し、泣き喚く息子。

なんで、リスクの話を子どもの前でするかな。先生よ。
説明せないかんのだろうが、どっちにしろはめるという選択肢しかないんだから、私だけにこっそり言って欲しかったよ。

「とりあえず、ちょっとだけ、はめてみましょうか。
ちょっと痛いけど、我慢してねー」
先生は、試しに息子の腕に力を入れた。

「ぎゃー!!痛い!!痛い!!無理!!無理!!」
叫び、泣き喚く息子。

私が到着するまでの我慢強さは、もう二度と発揮されることはない。
私はこれからずっと、最善の索を練ろうとしている先生を横目に、息子をなだめすかし続けなくてはならない。

「入院も、麻酔なしもどっちも無理なら、今から別の病院を探すしかないですね・・・」

まじかー!!
最初から、対応できる病院に運べよ!!
と思ったものの、口に出せるわけもなく。

イヤダイヤダと泣き喚く息子。
どうしましょうかねえ・・・という空気が部屋全体に広がっていく。
ふうと吐いたタバコの煙が部屋に徐々に充満していくように、ため息が広がる。

その横で、私はお借りしたティッシュで息子の顔やら鼻やらを拭きまくる。

しばらく様子を見守ると、麻酔科の先生がやってきた。
整形外科の先生は、若そうな研修医っぽい先生だったが、麻酔科の先生はベテランの優しそうな女医さんだ。
少し安心する私。

「お母さん、大丈夫ですよ。1~2時間で起きれる軽めの麻酔にしておきますからね。ぼくー。大丈夫だよ。痛くないし。寝てたら、もう治るからねー」

優しい。よかった。
今日は帰れそうだ。

あとは、研修医っぽい若先生がしくじらないことを祈るのみ。

麻酔を用意してもらい、寝たままレントゲンで様子をみながら、はめてもらうことになった。
処置はあっという間に終わり、息子もぐっすり眠っている。
とりあえず、骨に異常はないということだった。

夫も病院に到着した。
ぐっすり寝ていた息子が目を覚ましてから、三人で夫が運転する車に乗って帰った。
コーラが飲みたいというので、コーラを買って、
ピザを食べたいというので、ピザを買って帰った。

よく見ると息子の服は砂まみれで、派手にこけたんだろうなとわかった。

「何しててこけたの?」
「調子に乗りすぎた」
「どんなふうに?」
「覚えてない」

ああ、答える気ないのね。
まあ、脱臼するぐらいだものね。
よほど調子に乗ったのね。

とは思ったけど、今日は怒らないし、この件に関しては怒らないでおこうと決めた。
もう、十分に痛い思いは味わったんだし。


感謝しかありません


幸いにも怪我をしたのは春休み前日だった。
春休みは全く遊べないけど、体育と休み時間のために学校に行っている息子にとって、春休みだったのはまだ好都合だった。

宿題のない、腕を固定されて外にも行けない春休みは、ゲームをやりまくる日々だった。

脱臼したのが、左の肘ということもあって、右手は自由に動かせる。
初めは色々と動かしずらそうだったけど、慣れてしまえばなんの問題もないようだった。

その後、何度か病院に行った。
先日は三ヶ月ぶりに病院に行った。

骨に異常はなく、動きも問題がなかった。
治療はおしまい。

私はこれから保険金の請求をします。


あの日から息子は、救急車が通るたびに
「オレ、救急車、乗ったことあるし。救急車の中はさ!!」
と武勇伝のように話してくれる。

私は「そうなんだ。お母さんは乗ったことないよ」と返す。

通り過ぎる救急車の低いサイレン音を聞きながら、あの時、見知らぬ我が子のために救急車を呼び、学校へ連絡をしてくれたお母さんや、救急車に同乗してくれた先生のことに思いを馳せる。

本当に感謝しかない。

そして、救急車に乗っている誰かが、無事でありますようにと願っている。




いくら我が子を想っても、離れてしまえば、私は無力だった。
念を飛ばしても、なんの解決にもならない。
物理的な距離は、心の距離では埋められない。

私は、私たちだけでは子どもを守ることはできないのだと痛感した。
人に支えられていることを知ってはいても、理解はしていなかったのだ。

しかし、この広い世界で、私たちは一人ぼっちの時があっても、一人きりではないのだと。
誰かに助けを求めれば、助けてもらえる世界なのだと知った。

本当に感謝しかない。
ありがとうございます。


誰かが助けを求めている時に、すぐに体が動かせる自分でありますように。






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