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ギブする話

最近の私といえば、「オトナになるとはなんであるか」、そんなことしか考えられないような、すっかりコドモ脳になってしまっている。

憧れるほどに理解からは遠くなることと同義で、オトナにならんとすればするほど、コドモであることから抜け出せなくなるのだ。

そんなコドモな私も、6月からパンの修行に行く。
これまでは、発酵デザイナー書生という世界に1つしかない肩書きの書生であるから、それもまたオンリーワンであったが、そのラベルを脱ぎ捨てねばいけない。

パンの修行先は、「発酵兄妹」の兄(発酵デザイナーは発酵兄妹の弟)の手引きで、山梨県内のパン屋さんだ。

「僕、リターンは要らないので、パンの修行がしたいです。」と、こんな感じでお願いした。発酵兄曰く、「顔怖いけど、優しい」パン屋さんでお世話になる。

さて、このお願いにいたるまでの私の機微は、まったくもってオトナのそれであろう。

「修行をお願いする。」というのは、私の中で、「バイトをすることでは決してない。」と線引きしており、無賃金であることも、こだわりであった。

人生の中でも、この修行期間は、類を見ないほど、貧困し、体力的にしんどいものでありたいと願ったのだ。すこし、Mっ気が強い願いである。七夕でお願いしたなら、織姫も引いちゃうかも分からない。

それと、もう1つ自覚していることが、「無賃金でいいから学び場をください。」と言うのは、猛烈な甘えである、ということだ。

この甘えを自覚しているあたり、ひょっとしたら、私は、オトナかも知れない。

「修行を受け入れてもらう為には、」を考え、「さて、一体私には何が出来るか。」を潜った。

なんにもしてこなかった私も、この一年間くらいで、バカエッセイを書くことが出来るようになって、発酵デザイナー書生を経て、軽いDIY、断熱材貼り、ぶどう棚作りくらいは出来るようになった。

手作業で、ちまちまやることに、勇気を持って取り組めるのである。

本当なら、クロワッサンが作れますとか言った方が、パン屋さん的には嬉しいのかもしれないが、「クロワッサン作れるパン修行僧がいるかねぇ、」という話である。

修行先の、顔怖いけど優しいパン屋さんに、「無賃でいいので、なにか別の手段で僕がお返し、活躍できるようにします。例えば、屋根貼るとか。」なんてメッセージを送ると、「あ、それ助かる」なんて言ってくれるではないか。

大変嬉しいのだ。

まだ何も持っていない私、ナニモノでもない私と、パンを作っていこう、分からないことは教えてやろう、時に特殊なことを任せてみよう。

そういうことなのだと思う。

多分、私の修行先の顔怖いヒトが、特別イイ人なのだろう。

私のギブに対して、猶予期間を設けてくれているのだろう。

本来あるべき関係は、「こんなギブができます。」が、優先されるべきものであろう。

「いつか返ってくるだろうし、今僕に余裕があるからギブしてあげよう。」という風な修行先のパン屋さん。

もし、私の元にも、「生きるのを手伝って欲しい。」とう旨の相談がやってきたなら、出来うる限りで、やっていきたい。「そうやって世界は、回っていくんだろう。」と、思う。

コドモの私は、今、大変恵まれた人生の岐路に立っている。

発酵兄妹も、顔怖いパン屋さんも、皆、いい背中を、本格派のオトナの背中を見せてくれている。そういう背中を見てきた私が、オトナに、本格派になれないはずが、ないではないか。

私はこれから、たくさんのギブだけを生産すればよいのだ。DIYの要領で、ちまちまであれど、私の手で作る、紛れもない私からの贈り物。

花に「今、咲け。」と言ったって、咲けんもんは咲けんし、必ずしも、「望むことが、全て、今出来なくてもいい。」と、私は、思っている。そうやって、私はコドモぶっている。


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