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私が私で居られる人と食べるご飯には、「味」がある

法事に出ていました。

昨年、祖母、祖父が相次いで亡くなり、二人の法事を、今日、行ったのです。

私は妹と共に前日から実家に泊まり込んでいました。

私と、妹と、母、久しぶりに3人で食べる食卓ほ中心には、私の手土産であるお刺身の盛り合わせ。(父は仕事があって、一緒には食べられませんでした。)

ちょっと奮発した大トロやウニなどの入ったお刺身を3人で食べたのですが、正直なところ、いまいち、味を覚えていません。

「美味しかった」のは、間違いない。

けれど何か、決定的な何かが、足りなかった。

法事を終え、帰宅し、夫くんと夕食をとりました。

私が実家から持ち帰った仕出し弁当を二人で食べたのですが、圧倒的に「美味しい」と感じた。

何を食べるかよりも、誰と食べるかが大切

そんな言葉を聞いたことがありますが、「こういうことなのかな」と、思ったのです。

家族は、大切です。

けれど私と家族の間には過去に色々あって、一緒に居ても、手放しにリラックスはできません。

家族と目を合わして話せなかったり、家族に触れなかったり、昨晩、帰宅した父の晩酌に付き合って話していたら腹痛が起きるくらいには、色々ありました。

自宅に帰って、夫くんの居る「我が家」で食べた冷えた仕出し弁当が、大トロよりも、ウニよりも、美味しかった理由。

それは、気を使わなくていい。

頑張って話さなくていい、笑わなくていい。

食べたいものを食べていい。

私が私でいられる人と、食べるご飯だから。

そこには、じんわり温かい味があって、値段や質を超えた「美味しい」がある。

何を食べるかよりも、誰と食べるかが大切

必ずしもそれは真実ではないけれど、少なくとも私の「美味しい」は、好きな人との間にあるようです。

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