【夫くんの居ない一ヶ月のこと】9月13日㈫ 過去を懸命に生きていた私の、命の足跡
高校生の頃から、ブログを書いています。
小学3年生の頃から、日記を書いています。
私にとって「日々の記録」というものは、それくらい日常的で、「やらずにはいられないこと」。
それがないと日々の暮らしに違和感を覚えるほど、当たり前のことなのです。
「私、もしハンドメイドをやめても、ブログは続けるだろうな」
今日で夫くんが研修に行ってから2日目。
そして、「モーニングページ」を書き始めてから10日が経ちました。
睡眠リズムをつくるために朝6時起きをするようになり、早起きして生まれた時間を「楽しいこと」「趣味の時間」などに使おうと始めたのが、モーニングページです。
ネットで方法を調べたところ「朝起きてすぐ、ノートを3ページ埋めること」が基本的なルールと知り、毎日コツコツ続けています。
ノートを3ページ埋めること以外にも色々決まりごとはあるらしいのですが、今はそれだけを意識して続けているところ。
今朝、モーニングページを書きながら、こんな事を考えました。
私を支えてくれる行為
ハンドメイドをやめようと思ったことって、結構いっぱいあります。
思った通りにいかなくて、悔しくて、楽しくなくなってしまって、「やめたい」って思うんです。
でも、ブログについてはそういう風に思ったことがない。
むしろ書かないことの方が、私にとっては不自然なくらいです。
ブログを書くこと、文章を書くこと。
それは物心ついた頃からもう私の暮らしの中にあって、いつも私を支えてくれる行為。
誰にも打ち明けられないこと、打ち明けたけど理解されなかったり拒否されたりしたこと。
そういうことも全部受け止めてくれるのが、「書く」という行為、「文章」という記録でした。
「取っておけばよかったな」と思う、唯一の記録
小学3年生の時の日記、まだ持っているんです。
私にとって最初の日記帳だから。
その後の日記帳、例えば小学校高学年のときのものとか、中学の時のものは、失くしたり捨てたりしてしまってもう無いのですが、最初の日記帳だけは、持っているんです。
今ふと、「あれも取っておけばよかったな」と思ったものがありました。
中学時代に描いていた、イラストノート。
漫画家になりたかった中学時代に夢中になって描いたノートです。
好きな絵を書いたり、その日の出来事をイラスト付きで描いたり、日記の文字をレタリングしてみたりして、毎日毎日、罫線の無い真っ白なノートに夢中になって描いていました。
すっごく、楽しかった。
私は両親と社宅に住んでいたのですが、父が定年を迎えて社宅から引っ越すことになった時、実家に残っていた私のものは、ほとんど処分してもらいました。
その時にきっと、そのノートも処分されてしまったのでしょう。
「取っておけばよかったな」と思う、唯一の記録です。
私と祖母のこと
私はこうして毎日ブログを更新していますが、その他にもモーニングページと日記を、毎日書いています。
私の父も、父方の祖母も、マメに日記を書く人。
だからこの性質は、きっと遺伝なのでしょう。
祖母は昨年亡くなってしまったのですが、私の中ではまだ、生き続けています。
祖母からもらった手紙たち、形見分けでもらったネックレスと本べっ甲のブローチと、京都の八坂神社のストラップ。
私の暮らしの中には祖母の面影がそこかしこにあって、私の中で祖母は、まだ生きている。
私は死後の世界をどちらかというと信じている方なので、きっと今もどこかに居て、地球を旅していたり、私達を見守ったり、生きている時にやりたくてもできなかったこと、例えば勉強とか旅行とかをいているのか、なんて、思っています。
日記に書いた「今のこと」も、いつかは「思い出」になる
さっき、中学の時のイラストノートをもしかしたらまだ持っているかもしれないと、寝室にある「思い出ボックス」を確認してきました。
旅行の時のアルバム、これまでの日記帳、祖母とやり取りした手紙などを入れてある箱です。
でもやっぱり、イラストノートはなかった。
その代わり、2014年の旅行の時の写真とか、東日本大震災のときに小さなメモ帳に書いていた日記とか、ハンドメイドを始めた年の日記とか…、色々なものを見つけました。
普段はあまり開けない箱なので、「こんなものも残してたんだ」と、まるでタイムカプセルを開けたときのような気分。
日記って、書いている間は「今のこと」を書くわけですが、振り返ってみると、すべてが「思い出」なんですよね。
今を生きている私が、過去の私の心を見る手段。
日記には、「書く」という記録には、そういう力もあると感じています。
日記を開くと、あの日々の私が、そこに居るようで
過去を懸命に生きていた私の、命の足跡。
さっき、ぱらりと読んだ2018年の日記の中で私は、転職活動に奮闘した結果うつ病を発症して、ハンドメイド作家になる道を選び、模索していました。
日記を開くと、あの日々の私が、そこに居るようで。
今こうやって書いている文章も、未来の私にとっては、過去の記録になる。
私にとって「過去の私」の日々を読むことは、まるで小説を読むときのように、ワクワクした気持ちになるのです。
「今を書く」という行為は、私にとって、未来の自分への贈り物なのかもしれません。
2022年9月13日8:00(火)曇り
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