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「普通が一番」な訳ない
「普通が一番」
そう言われて育ちました。
皆と同じが一番なのだと。
だから「普通」という仮面を被って生きていました。
周りにいる人達の動きを見様見真似して、顔色を伺って、まるで操り人形のように。
子供の自分は判断が出来なかったけれど、「普通が一番」なんて、それを言っていた人の価値観にすぎなかったと今は思います。
私にとってはそれは1ミリも正解ではないから。
私の正解は「普通なんてない」「生き方は十人十色」。
だから特に話す時、「普通」という言葉は使わないようにしています。
「そんなものはないのだから」と。
強いて言うのであれば、誰しもが「それぞれの普通」を持っていると思っています。
普通もまた、十人十色でいい。
ずっと「皆と違う自分」を矯正して生きてきました。
ここが違うから直そう、あっちも違うから直そう。
自分がなかった。
本当はあったけれど、出してはいけないと思っていました。
皆と違っていたから、普通じゃないと感じられたから。
悲しいことです。
「皆と同じ」が正しくて褒められて、そうではない自分は間違っていて矯正されるなんて。
世間一般、という意味での普通になろうとすることは不毛だし、自己否定に繋がり、生きづらくなる。
それを身を以て学びました。
誰かにとって「普通であること」は正解かもしれない。
でも私にとっては違います。
違うと、今はハッキリ言い切ることができます。
私はもう操り人形ではなくなりました。
世間一般と同じかとか、人の顔色がどうだとか、そういうことはどうでもいい。
私は、私。
それが私の、普通です。
sarari
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