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恋愛と結婚に関する種まきの法則的考察 笑 その3

大学院修了の年の2月末、C国へ卒業旅行に行きました。
インドを諦めたくせに、結構無茶な旅程を立てていて、
C国で1週間
→バンコク・シンガポール経由でインドネシアへ
→バンコクへ戻って帰国

という文字にすると「いやあ、時間あるの?」という日程を立てていました。
でも結局、C国に24日間。C国に魂をもっていかれました笑
バンコクに移動したのは、学位授与式の前日。
ドンムアン空港で、後輩に国際電話をかけて、指導教員の先生に伝言を頼み
そのままバンコクとその周辺で1週間過ごし、4月に帰国。
(就職は決まっていませんでした)
学位授与式までに帰る前提でインドを諦めたのに、こんなことに笑

24日間でしたが、C国での時間は、宝物の時間です。
Bさんが他の日本人とシェアして暮らしている一軒家の、
バスルーム付き鍵付きの部屋をお借りして、過ごしました。
Bさんの婚約者と2人で、現地のうたを習いに行ったり、あちこち出かけました。
Bさんの使用人(!)の帰省に同行させてもらい、
田舎に日本人ひとりで一泊したこともありました。
Bさん宅で暮らしながら、C国の人々の営みを見て歩いていました。
私の「暮らす旅」の原点となりました。

Bさん宅は日本人2人住まいだったので、
現地で働いている若い日本人のたまり場でもありました。
毎日のように顔を見せていた日本人のひとりが、夫でした。
初対面のご挨拶をしたのがいつかは、お互いに全く覚えていません笑
現地のことば(英語ではない)に堪能な彼には、文字を教えてもらいました。
また、彼の仕事の休みの日に、Bさんが彼に頼んでくれて、
女性ひとりで行くことの難しい、旧市街にも連れていってもらいました。

向かい合わせに座って、現地の文字を教えてもらっていた時、
聖子ちゃんじゃないけれど、ビビビっときて
「あーこの人なんだなあ」と思ったのは、はっきり覚えています。

それでも24日間に想いを打ち明けることはなく、私はバンコクへ。
その後帰国して、大学へ学位記を受け取りに行きました。
そこで大学の職員に声をかけられました。
「あなた、就職決まっていないのでしょう、ここへ行きなさい」

ほんとうは、他大学の教授秘書(という名の雑用係・有給)をしていたので、
それを続けながら、指導教員の先生のお手伝い(無給)をするつもりでした。
でもそこからトントン拍子に職が決まり、ひと月後には就職していました。
希望のところではなかったけれど、ずっと念願だった実家を出ることができました。

彼とはその後、文通を続けました。
8月の夏休みにまたC国へ行く計画をしたところ、7月に彼が帰国することになり、
あーもう会えないんだ、と思っていたのです。。。

8月のその日は職場がお休みの日で、ほんとうは実家に帰っている予定でした。
それが同僚に誘われて遊びに行き、ひとり暮らしの自宅へ送ってもらいました。
家にあがったとたん、電話が鳴って、出たらなんと、彼の声…。
嬉しくて嬉しくて、9月に会う約束をしたこと以外、
何を話したかは覚えていません。
今日こっちに帰ってきてよかった、と思いました。
後で夫に「実家に電話するつもりはなかったでしょう?」と聞いたら、
「うん」と。
いや、ほんと、あの日あの時、ひとり暮らしの自宅にいて、よかった!

びびびっと閃き→この人なんだなあと、感情が受け入れる→即、行動(文通)

ほんとうは実家にいたままで、教授秘書するつもりが(セレンディピティ)
→人の示唆で就職が決まる
→ひとり暮らしを始められた
→実家へ帰るつもりだったのに(流れで)予定変更
→電話を受け取れた

何重にも波が来ているのが、わかりますよね。
こういうことって、あるんですね、と今更ながら思います。
次が最終回です。






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