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はじまりとおわり の はじまりとおわり…

小城弓子さんの『またたきのは』展へ、初日と最終日の二度伺ったときのこと。
そして、なんとなくルドルフ・シュタイナーのことを、ここに徒然と、詩的に綴ります。


当てはまる言葉が見つからない。
それでいい。
それがいい。
初日は馬の絵に、ただただ、たまらなくなりました。込み上げるものを感じました。
あれだけ、くまなくもれなく、みて感じたつもりが、みていない作品がありました。
それは、みれいさんが「猫の絵は人気があって…」と紹介してくださいました。
わたしは、「えっ…ねこ?どこ?」となりました。
最終日もみていないので、そのみれいさんの言葉で知りました。結局、一度もみないままです。
けど、それでいい、そのままでいい。そう感じました。
男の子が見ている世界の絵も、わたしは、最終日までみていなくて、来場されていた方から「これは、一番好きな絵なんです」と、教えていただきました。
自閉症の男の子がみる世界の絵とのことでした。
わたしにも、自閉症のきょうだいがおります。
こんなに素晴らしい世界を、感じているのかと。
ただただ、込み上げるものを感じました。
もう、心配することは、なにもない。
そのままが、ええ。
そう感じました。

『またたきのは』で、時間、ものや人のエネルギーによって、生み出され、創り上げられてゆく空間。
それは、自然や森の中に、どこまでも呼ばれて、その心地よさを際限なく、存分に、ただ感じている感覚でした。
作品一つひとつに対してもそうですが、「こんなふうにみえる」とか、「こう感じる」というのは、そこに居合わせた方々と感じることはあっても。そこに、感情や言葉があてはまらず、作品という現れ、そのまま「そうなんだな」と。
そう、感じました。

日常ふと、忘れて、やさぐれたとき。はっとする瞬間がある。今、絢爛に咲き誇る桜。そして、雨風に舞う桜吹雪。ひだまりに咲く蒲公英。まだまだ空高く伸びようとする木々の枝の姿…。
「またたきのは」は、いつでも還ることのできる、静かな森。
「またたきのは」は、懐が深く、底がない、宇宙。

わたしは、かつての星でも、じゅうぶんしあわせだった。けれど、ものごっつい意志をもって、この地球にやってきた。
色んなことがあるけれど、わたしは、ただただ静けさにあるこの森を、ふと、思い出したり、はっと感じる。
どんなことがあっても、わたしを愛しぬく。
そのまま、そのものであることを、面白く、愉しく、生きて参ります⚪ 

と、このタイミングで。
3月30日、ルドルフ・シュタイナーの命日であることを知ります。そのきっかけは「宇宙の子 COSMIC CHILDREN」特集「シュタイナー」

地球は、人間の一部分である植物を受け止め、自分の中に根付かせ、自分の成分から樹皮を作り、樹木を覆ってくれたのです。
『ルドルフ・シュタイナー残された黒板絵』(筑摩書房)より
草木国土悉皆成仏
『宇宙の子 COSMIC CHILDREN』

この言葉に出会い、はっとしています。
そして、こみ上げるものを感じています。
もう少しこの言葉にならないものを携えます。

小さな頃は、桃色と黄緑色が好きでした。しばらくしたら、桃色と空色が好きになりました。

学生時代、恩師からわたしや友人たちをみて「君たちは、疾風怒濤時代だな。」と言われたことがありました。意味がよくわかっていなかったし、今もあまりわかっていないけれど、そうなんだなと。

わたしは、静けさが心地いい。目に見えるもの、目に見えないもの。意志かかわらず、様々な、いろんな人やものと、かかわって生きている。
やろうしようとしなくとも、知ろうとしなくとも。
今ここにある。

写真は、小城弓子さをにサインを描いて頂いたものです。
ふと、シュタイナーを思い出しました。

お読みいただき、ありがとうございます。 とても励みになります! みなさまから頂いたエネルギーを巡らせていけるよう、精進してまいります!