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『偽る人』(揺れる) (第72話)

施設(2)

 施設のことが決まった時、房子に訊いてみた。センターの他の人は、施設に移ることを、何て言うの?と。
 房子は、少し考えて、別に・・、とか、とぼけた顔で言っていた。施設に移る人が以前にもいたけれど、何も説明がないまま居なくなった、と言う。
 それなのに、房子は今日、センター長に言ってきたという。こんなにはやばや。それも老人本人が。
 まだ数週間あるというのに、それまでどういう顔で過ごすのだろう。
 みんなには伝わらない、と房子は言った。
 じゃあ、何も言わずにお別れするの?
 房子はうなづいた。
 そんなことないでしょ。分かったら、みんな、どうして施設?って訊くでしょ。
 房子はまた、分からない、と、とぼけた顔をする。
 どうしてそう、先走って、いろいろしちゃうの? 順序が違うでしょ。
 子供がふたりもいて、寝たきりでもなく、ぼけて徘徊するわけでもない人が、どうして施設に入るのか、みんな不思議に思うでしょ。
 何も説明をしなければ、家族が悪く思われるのよ。

 そんなことを恭子がいろいろ言ってみても、房子が受け止めるはずもなかった。それどころか、房子は何もかも分かってやっているのかもしれない。
 いつものように、自分だけ、かわいそうで、立派な人を演じてきたのだろう。ずっと、この地域で暮らしていかなくてはならない娘の立場など、お構いなしだった。

 雨が降り出していた。内科の医院にはタクシーで行った。
 待合室で順番を待っている間に、房子の携帯電話が数回鳴った。
 房子は画面に出た名前を見ただけで、ブチっと切った。何か変な切り方だった。いくら医院でも、「あとで・・」とか言えるはずだ。
 診察が終わり、診断書を受け取って(なんと診断書の費用は数万円)、家に帰ってからも、房子の電話がまた鳴った。
 房子はまた、ブチッと切った。その後、あちこち電話のボタンを押してみている。
「どうしたの? 誰から?」
恭子が訊くと、房子は、絵手紙の先生からだ、と言う。
「うまくつながらなくて・・・」
なんて言っている。
 自分で切っておいて、なんか怪しげだった。
 すると、今度は家の電話が鳴った。きっと先生からだ、と恭子は思った。
 案の定だった。先生は、房子が電話に出ないので、いないと思ったのか、恭子にその日の話をした。
 今日、デイケアで絵手紙があったと言う。
「山上さんが、最後だと言うので・・・みんなで抱き合って泣いたんですよ・・・来月一日からだというので、次の絵手紙の時にいらっしゃらないので、×日にお別れ会を、と思って・・・」
 聴きながら、恭子は傍に座っている房子をちらちら見た。やっぱり、そういうことだったんだ。だから、房子は電話を切ったのだ。
 先生がいろいろしゃべってから、房子に替わった。
 房子もまずいと思ったのか、
「まぁ、先生~、そんな・・・」
といつもの調子で電話に出たけれど、短い時間で切った。

 恭子は怒った。房子は誰にも言わなかった、と言っていたはずだ。
 すると、絵手紙が今日で終わりだから、先生だけに言った、みんなに言うとは思わなかった、と房子はまた、とぼけた顔で言う。
 絵手紙の先生は、いつも何人か(5~6名?)の年配の女性の生徒を引き連れて、センターに指導に来ている。みんな仲がいいし、絵手紙を離れても付き合いがある。先生だけに伝えるなんて、できるわけがなかった。
 みんなで抱き合って泣いた、だなんて・・。
まるで、ひどいことをされた悲劇のヒロインみたいではないか。冷たい娘に捨てられた、かわいそうな老人みたいではないか。きっと、センターの人達にも、そう思わせてきたのだろう。
 娘がどう思われようと、自分さえかわいそうな、いい人だと思われれば、それでいいのだろう。それでも、幸男のことだけは、きっと理由をつけてかばうのだろう。
 だいたい、房子は、どうしてこんなことになったのか、忘れたとでも言うのだろうか。
 何を言っても、恭子が悔しくて涙をこぼしても、房子はいつものように、何も感じていないようなとぼけた顔で黙り続けた。

 センターで、絵手紙の人達と泣いて抱き合っている房子の姿を想像すると、辛過ぎて吐きそうな気分になった。こんな母親がいるだろうかと思う。
 勤めから帰ってきた卓雄も、事情を聞いて、房子に何か少し言ってくれたようだった。恭子に、ひどいねぇ、あれが母親とは思えないねぇ、と言った。
 房子は夕飯後、いつものように、心のない「ごめんなさい」をぼそっと言って、「ごちそうさま」と、また感情のない声で言って、いつもと同じように二階に上がっていった。

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登場人物紹介

恭子:60代の主婦。兄嫁と折り合わず、家を飛び出してきた実母に苦しみ、「反感」と「情」の間で心が揺れ続ける。

卓雄:恭子の夫。定年間際のサラリーマン。

房子:恭子の実母。気が強いが、外では決して本性を出さず、優しく上品に振舞う。若い時に夫(恭子の父)を亡くし、塾を経営して蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。

幸男:房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が多かったが、房子に溺愛され、生涯援助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塾の講師におさまる。

悠一:房子の実弟。房子とかなり歳が離れている。

やすよ:幸男の嫁。人妻だったため、結婚には一波乱あった。房子は気に入らず、ずっと衝突し続ける。

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