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『偽る人』(揺れる) (第63話)

集まりの後

 幸男達との話し合いの後、恭子は房子の豹変ぶりになおさら嫌気がさして、ほとんど会話をしなかった。
 房子はいつもそうだったが、こういう出来事の後には、弱り切った様子を見せる。あんなに狡猾に振舞いながら、急に弱く衰えた、可愛そうな老人を演じた。
 けれど、集まりの翌々日のことだった。
恭子が幸男のことを「バカだ」とかいろいろ言っている、と言いつけた話を蒸し返した際に、房子が、そんなことを言っていない、と言い出したので、驚いた。二日前に、そのことで恭子達が怒り、房子が居直った発言をしたばかりなのに。
 房子にどんなに言っても否定する。
 これなのだ。房子は、事実と全く違うことを言ったり、強く言い張ったことを、言っていないと言ったり。
 いかにも冴えた様子で他人に話すから、みんなそれを信じてしまうのだ。腹立たしかった。
 とうとう恭子はやすよに電話した。
 電話を替わった房子は、そんなことを言ったかしら・・・、とやすよにも言う。
 やすよは恭子に、
「都合の悪いことは忘れちゃうんだから・・・」
と、苦笑いした。
 こういう時、やすよと話ができるのはありがたかった。まともに話せる人が他にいないのだ。
 その後房子は十一時頃ひとりで出かけて、三時くらいまで帰ってこなかった。
 荷物も少ないし、押し車も持って行っていない。考えられるのは悠一の家だったが、帰ってきた房子は行っていない、と言った。信じられないけれど。
 出かけていた間に、房子は電機屋さんに行ったと言う。テープレコーダーがみんな使えなくなっているので、直してもらおうかと、思ったと。
 恭子との会話を録音するためかと訊いたら、それもある、と房子はしぶしぶ認めた。
 一昨日自分が言ったことを、まだ認めていないのだ。自分が正しい、と思っているのだ。
92歳で、テープレコーダーだなんて。どこまでも強い人だった。
 実の親子であっても、何も信じあえないと思った。

 しかし、時々そういう強い面を見せるものの、幸男達との集まりの後、房子は以前よりおとなしくなっていた。遠慮もする。さすがに、幸男の家に移るまで、恭子に抗ったまま世話になるのもやり難かったのだろう。いろいろ気を使うようになっていた。
 何かにつけて、お金を出そうとしたり(断わるけれど)、果物やチーズなどを買ってくれようとした。
 何より驚いたのは、卓雄の実家でのもめごとがあった時に、珍しく恭子に寄り添った意見を(弱々しくだが)言ってくれたことだった。こんなことは初めてだった。
 恭子が苦しんでいても、弱っていても、房子が気持ちの上で、寄り添って、心配したり、なぐさめてくれることなど、ただの一度もなかった。
 これは、初めて見た房子の母親らしさであり、うれしかった。
 
 そういう房子を見ていると、何故、房子との同居を諦めたのだろう、と分からなくなった。こんな母親なら、何も問題なかったはずだ。
 でも、これがいけないのだ、と恭子はまた自分をいましめる。この、弱さを演じる房子に、いつもだまされるのだ。
 房子は、何か他に事件があると、自分に矛先が向かわないことで、安心しているような雰囲気があった。

 房子が気を使って、おどおどしていると、恭子は落ち着かなくなる。胸が痛くなる。
 自分に寄り添ってくれる母親であったなら、それだけでいいのに・・・。ずるいよ・・、と思った。

 そうして、あれほどもめて、房子の豹変ぶり、ずるさをしっかり見たというのに、いつの間にか、房子が恭子の家を出る話は立ち消えになり、またいつもの繰り返しのような日々が続いていってしまったのだ。
 集まりの日から数日経って、房子は、やはりここに置いてくれないか、と言った。意地っ張りの房子が、そんなふうにみずから頼むのは珍しかった。
 そして、恭子はまた、情けないほどずるずると房子の術中にはまっていってしまう。結果として房子がここを選んだことが、うれしかったのだ。
 房子にとって、ここは今、便利な所になってしまっているだろう。友達も増えた。絵手紙もできる。碁を教えにきてくれる人もいる。
食べることにも不自由せず、会いたい人にはタクシーを使ってでも会いに行ける。買いたい物も買いに行ける。
 何の不自由もない。
 ただ、恭子と心が繋がっていないこと、最愛の息子となかなか会えないこと、を除けば。

 やすよに、房子が恭子の家にとどまる話
を伝えると、
「やっぱり、さみしくなっちゃったんでしょう」
と言った。
 さみしい・・、そうだろうか。自分の気持ちが、恭子には分からない。
 房子にずっと、母性を求めてきた。それは、決して得られなかった。得られたと思っても、蜃気楼のように消えた。そんなもの、実際には無かった。

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登場人物紹介

恭子:60代の主婦。兄嫁と折り合わず、家を飛び出してきた実母に苦しみ、「反感」と「情」の間で心が揺れ続ける。

卓雄:恭子の夫。定年間際のサラリーマン。

房子:恭子の実母。気が強いが、外では決して本性を出さず、優しく上品に振舞う。若い時に夫(恭子の父)を亡くし、塾を経営して蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。

幸男:房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が多かったが、房子に溺愛され、生涯援助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塾の講師におさまる。

悠一:房子の実弟。房子とかなり歳が離れている。

やすよ:幸男の嫁。人妻だったため、結婚には一波乱あった。房子は気に入らず、ずっと衝突し続ける。

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