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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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#コミュニケーション

人間関係に怯えないための選択

人間関係に怯えない秘訣は、相手の正解を受け止めること。 どんな言葉も感情も、発した私と受け取った相手が全く同じ風に感じているなんてことは、ありえない。 伝わっていたり共感できたり理解できたりしていても、それは同じじゃなくて、すごく伝わったとか似てたとか、そういう感じ。 逆に、こう伝えたかったのに違う風に伝わった・受け取られたってこともきっとたくさんある。 伝わったと思ったけどほんとはちょっと違ったってことも、あるかも知れない。 もしそうだったとして、私が何かを発したその

笑福亭鶴瓶×天海祐希「スジナシ」から考えるコミュニケーションの真実

注:今日の #note は真面目にコミュニケーションについて考えた話ですが ただのオタク発言も途中登場します。 昨日「スジナシ BLITZシアターVol.10」を観てきました。 笑福亭鶴瓶さんとゲストの方が 事前打ち合わせナシ&セットは現場で発表&開始立ち位置は観客が設定&効果音も観客が勝手に鳴らす という形でやられる即興芝居で 衣装もその場で出演者が各々相談せずに決めて始めるというものです。 お恥ずかしながらTVでチラ見しかしたことがなくて、 今回私の女神であらせられる

「私らしさ」は習慣と停滞かも?

相手に話しかける、笑う、身振り手振りをつかう… そういった「いつもの」コミュニケーションに、ふとノイズや引っかかりを感じる時があります。 その引っかかりのもとがなんなのかも、知っていました。 これは、かつてどこかで、自分でやってメリットがあったやり方 かつてどこかで、誰かがやっていて、いいなーいただきって思ったやり方 それを、今ある意味「わざと」やっている 人は本能的に笑ったり泣いたり、する部分があるけれど コミュニケーションの多くの部分は、後天的に獲得したひとりひとりの

「心を開く」ってどゆこと?

昨日のnoteを書きながら、私がずっと戦ってきたものってなんだろう?っていうのを考えてました。 前にもピンクの服が着れない話とかで戦ってきたものの正体を見つめてきたんだけど 他にもありそうな気がしてきた。。 戦ってきた=守ってきたってことで、 守ってきたものは心そのものでもあるなーって。 心ってワードが出てきた時に 「もっと心を開いたらいいのに」「オープンマインドでいようよ」みたいな発言に めちゃくちゃ反発を覚えていたなぁって思い至ったのね。 「心を開く」ってなんか、嘘

ドタキャンできないから自分を苦しめる

2週間、べらぼうに体調が悪かった。 感染性の結膜炎に始まり、口唇ヘルペスが出て、トドメの急性胃腸炎。 真っ赤な目、ぷつぷつと腫れる唇、挙句の嘔吐からの脱水症状。 どんだけ免疫落ちてたの私…と自分を恨みながら、気付いたことがいくつかあったの。 ・自分の疲れ具合が把握できない ・予定が変更できない ・突如中断されたことが再開できない 疲れ具合が把握できない件は、以前からうすぼんやり気付いてた。 子供の頃は 疲れ→片頭痛→寝れば治る って感じで分かり易く簡単だったんだけど

「頼るの禁止条例」を制定している、みんなへ

美人になれなかった私の話から芋づる式に色んなことに気付いちゃったから もぅどんどん私のことばっかり書いちゃう。 noteは平和で安全な場所で本当に良かったなぁ♪ 今日は「人に頼ってはいけないルール」の話を書きたいのです。 真面目で優しくて生きづらい仲間のみなさんの中にも「助けて」を誰かにいう事を すさまじく禁止してる人、いるんじゃないかなと想像してる。 私は、誰かに相談したり頼ったりすることと、自分が嫌われることがイコールの関係になっていたのだけど そのイコールの中に含ま

あなたの「正解」、わたしの「責任」

この間、久しぶりのお友達と食事に行った。 以前はよく会っていて、別に何のわだかまりも疎遠になる理由もないけど、最近会う機会が減っていたお友達。 何となく、たまに会うことがあると「今度またご飯に行こうね」と言ってお互いに行動しないままになっていたのが気になって (というより具体行動に移さない自分にストレスが出てきて) 久しぶりに食事に誘った。 大体予想していたような話をお互いにして、でも新しい話題や新しい発見もあって ちょっと前に戻ったような、でも前と同じではないお互いの存在

話したいのです。あなたと。

この間、私たちはいつだって自由だって話を書いたんだけど 直後、その自由を他でもない私が全然行使してなかったことに気付いてしまったのです(照 ここ3ヶ月くらい、自分の中でもやっとしていることがあって もやっとがやってくるたび、お友達とメッセンジャーで少しずつ、もやっとを探り出すためのやり取りをしてきたのね。 ちょっと前に、そのもやっと案件が、自分の中で 「なんかもうダメだほんと無理これーー!!たすけて!」ってなってきて、 またその話をお友達に投げて、問われ、投げて、問われ、

ご厚意にはありがとうで応じようの巻

アレクサンダー・テクニークっていうのの教師資格を取るために学校に通っているんだけど ちょっと前、午前のクラスと午後のクラスの間に、先輩トレーニーのお姉さんたちとお弁当を買って、近くの公園でランチしてたのね。 ひとしきり食べてしゃべって、そのあと私、ちょっとコンビニに寄りたかった。 で、「ちょっとロー◯ン行ってきま…あー。お弁当のゴミどうしよう…」ってなって そしたらお姉さんが「捨てといてあげるよーコンビニ行っといで^^」て言ってくれたの。 ところが私はその言葉に 「えっ…

色眼鏡、外しちゃえ

昔どこかのSNSで 他人からの「そんな人だと思わなかった」てき発言に対して「お前の色眼鏡なぞ知るか」てなった というような内容の投稿を読んだ記憶があるのだけど 今日これをふと思い出して改めて、言い方はともかく、ほんとそれ!てしみじみしてる。 人生長く生きれば生きるほど 「そんな人だと思わなかった」モンダイは「自分→他人」にも「他人→自分」にもどこかしらで何度も起きるよね。 すごく仲の良かった友達とそのたった一言で疎遠になった、みたいなの。 これって「裏切られた」感から起き