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「私らしさ」は習慣と停滞かも?

相手に話しかける、笑う、身振り手振りをつかう…
そういった「いつもの」コミュニケーションに、ふとノイズや引っかかりを感じる時があります。
その引っかかりのもとがなんなのかも、知っていました。

これは、かつてどこかで、自分でやってメリットがあったやり方
かつてどこかで、誰かがやっていて、いいなーいただきって思ったやり方
それを、今ある意味「わざと」やっている

人は本能的に笑ったり泣いたり、する部分があるけれど
コミュニケーションの多くの部分は、後天的に獲得したひとりひとりの技だと思うんです。
そこに経験があり、アイディアがあり、不安があり、難しさがあり、
だからコミュニケーション力みたいなものが話題になるし、
みんなそれぞれの方法論によって、個性と個性の交換をいつもしている。

好感度の高い話かたや仕草があったり
流行りの表情の作り方があったり
普遍的に根底に流れるフォーマットがあったり
いろんな部分で技術や文化のように変化や進化をしている。

で、ところで私のこの話しかた、笑い声、身振り、本当にそれが必要だと思ってやってる?

そんな疑問がわいたとき、
あ、「私っぽさ」を構成するのはただの習慣なんだ と思ったんです。

良くも悪くも「さらちゃんっぽさ」として人に認識されるものの中で
言動、つまりあなたと私とのコミュニケーションの経験から抽出されたものがそれなりの割合を占めている。
だとすると、「私らしい」「私っぽい」は、私があまり意識せずに習慣的にやり続けてきた私自身の使用法の積み重ねで、
何度もやっている方法、ということはつまり、過去どこかでメリットがあったやり方ってことなんだなぁって。
(だって失敗した体験や何かしらのメリットがなければその方法を何度も採用したりしないはずだもん)

成功した→次もつかう→無意識にするようになる
で自動的に出てきているものでコミュニケーションしているとしたら
それって、ある意味停滞じゃないかしら?

そんな風にも感じたんです。

私の根底に流れる素質や「らしさ」は、それはそれできっとある。
プラス、相手とのコミュニケーションではいつでも、その方法をもう一度選ぶことができる。
今までの方法も、新しいやり方も。

いつも選べるっていうのはある意味覚悟がいるしクリエイティブだったりして
ちょっとハードルが高いかもしれない。

でも、選べること、それを知っているだけで、
あなたと私の関係はいつも新鮮で楽しくて建設的で変化のあるものになると思うんです。
そうすると、私の周りはいつも、世界が広がっていくしワクワクが途切れない。
そんな気がしています(o^^o)

#コラム #コミュニケーション #人間関係

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!