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「頼るの禁止条例」を制定している、みんなへ

美人になれなかった私の話から芋づる式に色んなことに気付いちゃったから
もぅどんどん私のことばっかり書いちゃう。
noteは平和で安全な場所で本当に良かったなぁ♪

今日は「人に頼ってはいけないルール」の話を書きたいのです。

真面目で優しくて生きづらい仲間のみなさんの中にも「助けて」を誰かにいう事を
すさまじく禁止してる人、いるんじゃないかなと想像してる。
私は、誰かに相談したり頼ったりすることと、自分が嫌われることがイコールの関係になっていたのだけど
そのイコールの中に含まれる図式は、これだ。

相談・頼る=私が一方的に相手からもらう=相手だけが負担=相手はつらい=その元を作った私のことは嫌い

↑こういうこと。
うわー。書き出したら涙が出てきた。
言葉にできるほど明確に気付いてなかっただけで、本当にそう感じていたんだなぁ。。

まずもって相手が私を好きか嫌いかは私が決められないし私の責任じゃないっていう時点で、
この話は論理破綻してる。
頭では、今は分かる。でも心では信じてなかったの。

この言語化に辿り着いたきっかけは「コミュニケーションって同時双方向だよ」って話だった。

ハグでも喧嘩でも相談でも笑い話でも、およそあらゆる形のコミュニケーションは
お互いにお互いの存在と気持ちがあって成立してる。
例え見解が通じ合わなくても、何かしらの形で相手との関係が起こっているってことは
相手は私に付き合ってるし私も相手に付き合ってるんだよね。

それを聞いた時私は、あれ?なんか違和感ある…ってなったの。
相談や頼ることは「一方的に押し付けていること」にカテゴライズしてるっぽいよ?

なんでだろ?

あ。わかった。
小さい頃の私が、嫌なことを嫌だって言えなかったってことがスタートっぽい。

自分が、大切な人や信頼したい人から嫌な言葉を投げられてもそれを嫌だと言えなくて、
言ってはいけないと思っていた。
→自分がそうってことは、相手も嫌だと思ってても私にそれを言えないだろうから
「相手が負担に思う可能性のあることを口に出す」が禁止事項に入っていた。
→禁止事項を破ることは相手に負担を強いることでしょ?

ってことみたい。

それを「一方的で相手が嫌がること」っていう思い込みとして更に強化したのが
「しっかりしたいい子だね」モンダイなんだと思う。

手のかからない私がいい子であるって図式は、
ひとりでできることに価値が置かれているがゆえに、
頼ることは自分が持つべき負担を相手に全部背負わせているように見えるのだ。
それはそれは相手にとってはつらいことだろう…!

ついでに、私は若干HSPの傾向があって、相手の表情や雰囲気から気持ちを汲み取りすぎるところがある。
自分以外の人の「本当の気持ち」は知りようがないって、頭では分かっているけど
読み取ったものがそんなに間違っていないって経験値による確信みたいなものもあって
相手に我慢させていることに自分が気付いてしまうのがこわかった。

負担を我慢して、嫌だって言えない相手は、きっと私のことを嫌いになるに違いない。
そして私を嫌いだって相手が言えなくても、私はそれに気付いてしまう。
めっちゃ悲しい!

そういうこと。

でもさ、大切な人が頼ってくれたら嬉しいし
相談ごとで力になれたらちょうよかったなって思うし
何も解決しなくても私と話したいと思ってくれてるんなら最高じゃん。

自分にはそれ、言ってあげてこれなかったけど
これから、安全にそういう関係を誰かと構築していける可能性は、あるよね?
私だけに頼ることが許されてない世界なんて、ちょっとゆがんでる。

とりあえず、相手にお問合せ、してみるところから始めようかなぁ。
軽そうなことから。

ちょっと悩み事あるんだけど、話聞いてくれる?やだったらいいよー。

相手がいるから、話ができるし
もう話をしているって時点で、今リアルに起きてる双方向事案だから。

もし私が嫌だったら相手から離れられるし
相手も同じことができるって知ってる。
だから、まず私から安全な世界を相手に提供できるし
相手にも確認しながら、私と一緒に安全な世界を作れるよねって、お話。

あなたと私がどっちもいるから、この世界が成立してるよ☆

#コラム #コミュニケーション #関係性

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!