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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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2018年11月の記事一覧

未来の自分の余白を見つめる、棚卸

サクちゃんさんの「やりたいこと100個」とその周辺についてのnoteを読んできて いつか私も書き出してみるかー と思ってたんだけど 昨日帰り道にお散歩をしてて、あ。今やるべきだわ。って気がした。 多分、暇だったんだと思う。 脳内に余白ができると、そこで変化に向かうスペースが生まれる気がしてる。 解決しない悩みでぐるぐるしてる時とか、何かに夢中になりすぎて視界が狭くなってる時、 SNSやなんかで断片的なインプットだけが増えてる時とか、こういうのが減っていくよね。 お散歩で暇

「素の私」というトリック

「この人となら素の自分でいられる」「素の私を認めてほしい」 みたいな言葉を、現実でも小説でもドラマでも100万回くらい聞いてきた気がするけど 最近の私は、これがめちゃくちゃ気になってる。 素の私って、ナニ? 何年も前に 「私とは何か―『個人』から『分人』へ」(講談社現代新書) を読んだのをふと思い出した。 調べてみたら「マチネの終わりに」や「ある男」の平野啓一郎さん!(読んでます!すきです!)すいません、今気づきました。 この本に書かれている「分人」主義、当時はぜんっぜ

ドタキャンできないから自分を苦しめる

2週間、べらぼうに体調が悪かった。 感染性の結膜炎に始まり、口唇ヘルペスが出て、トドメの急性胃腸炎。 真っ赤な目、ぷつぷつと腫れる唇、挙句の嘔吐からの脱水症状。 どんだけ免疫落ちてたの私…と自分を恨みながら、気付いたことがいくつかあったの。 ・自分の疲れ具合が把握できない ・予定が変更できない ・突如中断されたことが再開できない 疲れ具合が把握できない件は、以前からうすぼんやり気付いてた。 子供の頃は 疲れ→片頭痛→寝れば治る って感じで分かり易く簡単だったんだけど

「頼れない」をこじらせたあなたへ

芋づる式に今までの自分の考えに気付いた話がもう1つあって。 前回、相手が負担に思うこと言うの禁止令のことや 自分が負担に思うことを嫌って言えないで来たことを書いたのだけど。 この手の話、めっちゃこじらせると更に自分に刃を向けて返ってくるんだよね。 生きづらい仲間のみなさん、けっこう思い当たる話なんじゃないかなーと思う。 こじらせてるってどゆこと?って感じだと思うんだけど、 相手に負担かけちゃいけない の理由の1つが 自分を負担から脱出させることを許さなかったにもとづいて

「頼るの禁止条例」を制定している、みんなへ

美人になれなかった私の話から芋づる式に色んなことに気付いちゃったから もぅどんどん私のことばっかり書いちゃう。 noteは平和で安全な場所で本当に良かったなぁ♪ 今日は「人に頼ってはいけないルール」の話を書きたいのです。 真面目で優しくて生きづらい仲間のみなさんの中にも「助けて」を誰かにいう事を すさまじく禁止してる人、いるんじゃないかなと想像してる。 私は、誰かに相談したり頼ったりすることと、自分が嫌われることがイコールの関係になっていたのだけど そのイコールの中に含ま

自分だけの人生を歩むコツ

この話でどれだけ引っ張るんだよって感じかもしれないけど、 ピンクのお洋服が着れない話は、ちょっとした割合の女性が通ってきた話なんじゃないかなーと思う。 最初からピンクやキラキラに興味がなかったなら良かったのだけど 私の場合はセーラームーンもリカちゃんも興味があったのに、キラキラしたおもちゃやアクセサリーも好きだったのに 言い出せなかったんだよね。 (親のせいみたいになっちゃうけど、うちの親はそういう「趣味の悪い」ものに価値を見出していなかったから 子供心に、これはねだっては

自由に憧れる、ワガママを許さない私へ

美人になれなかった私、ピンクが着れない私に引き続いて 自由になりたかった私の話がしたいなと、思うのです。 最近あーそうだったのか!ってわかったのは、 私の生きづらさや思考の引っかかりは全部 この「自由になりたかった」に繋がっていそうだなってこと。 それに気付いた時、 「私、自由になりたかったんだ」ってことを自分で認められた時、 ボロボロと涙がこぼれてきました。 昔だったら「涙なんか流してなんだよ。そんなに自分が可愛いのかよばーか」って、自分を否定しただろうなと思うけど