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独りよがりの感情

失恋した。
もちろん人生で初めてのことではない。

干支を三周もすればそれなりに恋愛経験はある。おかげで前回の関係を終えた時も、自分が何をすれば良いのかはわかっていた。ただじっと時が過ぎるのを待てばいい。時薬とはよく言ったもので、大体のことは時間が解決してくれる。

彼と別れた時、私はあと数ヶ月で35になるところだった。「今ならまだ新しい相手が見つかるでしょう」と言って彼は去った。私はそのセリフを「つまらないことを言う男だな」と思って聞いていた。とはいえ、それに反論して、日本社会と年齢とジェンダーの話をぶつけるような関係性ではもうなかった。

一緒に暮らしていたし、老後を含めた将来の話もしていたので、久しぶりにシングルに戻った開放感から、婚活にも手を出してみた。初めてやるマッチングアプリはそれなりの刺激をくれたが、すぐに飽きた。とりあえず会ってみないとわからない、と会ってみれば全く価値観の合わない人だったこともあった。メッセージを重ねてみて、価値観が合いそうと思って会ってみても、ピンとこないとむしろ徒労感が強いということも学んだ。

2年間、休み休みながらも出会いを求めてみて気づいたことは、世の中「いい人」はいくらでもいる、ということだった。みんな優しいし、ちゃんと働いているし、数時間話すくらいなら何の問題もない。でもそれだけでは飽きてしまうのだ。それならばと、この2年は趣味の世界もかなり広げてきた。

彼と暮らしていた間、私は本当の意味で自由ではなかった。相手が忙しい人だったから、まずは彼のスケジュールを確認して私のスケジュールと合わせ、その上で彼がいない日にたまに友達に会う、という生活をしていたので、誰にも何のお伺いを立てずに趣味に没頭できるのも、実は初めてのことだった。

趣味の世界は新しい刺激に満ちていて、ああ、十分これで楽しいな、と思えた。婚活はあんまり頑張れないけれど、お金を稼いで、趣味で充実していればそれでまあいっか、という希望も見えた2年だった。


そもそも、私は前回の関係が終わった時、恋愛における自分の在り方に飽き飽きしていた。

7年付き合って、5年以上一緒に暮らして、将来を約束しあった相手と別れたのに、私はそれほど傷ついていなかった。そこにあったのは徒労感だけだった。「また違った」「もう疲れた」そんな思いがぐるぐるしていた。それは間違っても、相手を失った悲しさでも、恋しさでもなかった。

私は誰かを本当に好きになることがないのだろうか、と思った。そしてそんな自分が、たまらなく嫌だった。なんて愛のない、薄情な人間なんだろう。そう感じていた。

私の恋愛パターンは大体いつも同じだ。いいな、と思う人がいて、相手もいいな、と思ってくれたら、相手の「本気度」を測って付き合い始める。これまで付き合った人は皆、私のためにいろんなことをしてくれたと思う。物心両側面で、細やかに、時に華やかに色々なものを「与えて」くれる人々だった。そうやって色々ともらえているうちは、私もその気持ちに応えたいと思う。周囲には「意外」だと言われながら、相手に合わせて生活することをそれほど苦には思ってこなかった。

だからこそ、関係性が終わりに近づき、相手からこちらへの関心が薄くなると、私の気持ちもスッと冷めてしまう。私にとって長らく、恋愛とは「もらったらその分をお返しする」関係性だった。だから終わって引きずることもない。そしてそんな自分を心底卑しいな、と思っていた。

余談ながら、この「相手が気持ちをくれた分だけ返す」ポリシーは、むしろ婚活業界では推奨されることが多い。それだけ、相手に蔑ろにされても「尽くしてしまう」人が多いのだろうが、私はそんな風潮にも全く馴染めなかった。「相手がくれるからあげる」という態度は、愛でも何でもないからだ。それはある種のマナーに過ぎない。そしてそんな自分に苦しんでいるのに、その「在り方」が称賛されている婚活業界は私のいるべき世界ではないのだろう、と思った。


36になったら、もう婚活からは足を洗おうと決めていた。
元々、「あれだけやったんだから」と後悔しないために始めたものだった。

そうやって、36歳独身彼氏なし、キャリアも貯金もあんまりなし、の状態が出来上がった。この先どうするかなぁと思っていた矢先に、その人に出会った。

初めて話した時の「あれ?」という感覚。長く知っている相手でもないのに、お互いが話していることがなぜか初めから「わかる」。話し始めると時間があっという間に経って、最後はいつも話し足りない。目が合う回数が増えて、段々と距離が近づいていって、もっと一緒にいたいと感じた。

初めてではない恋愛で、それは初めて感じる感覚だった。相手が何かをしてくれるからではなく、ただそこにいてくれればいい。いつも笑顔でいてほしい。そんな感情を他人に抱いたのは初めてのことだった。ちゃんと自分の中に愛情はあったのだ。私は心から安堵した。

三回目のデートでカフェの閉店時間が近づき、このまま帰るのか、どうするか、となっていたときに、彼から「言いたいことがある」と言われた。「何?」と聞き返すと、ややしばらくの間があって、「英語で話すね」と返答があり、彼はこう続けた。"I'm flirting with you, is it ok?"

何を言ってるんだ、と思わず笑ってしまった。もちろんいいに決まってる、だからデートしてるんでしょ、と返すと、いや、仕事関係で出会ったから色々ポリシーがあるかもしれないじゃん、と返され、じゃあこれでdatingが始まるってことだね、とその日はキスをしてさよならした。

ちなみに彼はドイツ語英語ネイティブで、普段私たちはドイツ語で会話する。だけど、ドイツ語にはない表現や言葉というものがあって、flirtもまさにその一つ。datingもドイツ語にはない単語なので、英語で話したのだった。つくづくドイツ語とはロマンチックではない言語である。


それから1ヶ月、いろんな話をして、デートを重ねた。いつも時間はあっという間に過ぎ、こんなに幸せでいいんだろうか、と思う私と対照的に、徐々に彼は苦悩の色を強めていった。少し考えたいと言われて間があき、そして再び会った時に、この関係をこのまま続けられない、と彼は言った。

日本で暮らすことの「コスト」が高くて、いい彼氏にはなれそうにない、と彼。なってほしいなんて頼んでない、と私。でも自分がしたいんだ、君のことをちゃんとケアしたいけどできる自信がない。

そして、自分が将来日本で暮らすことも考えられない、と彼は続けた。やはりドイツで生きていきたいという彼に、それはわかっているよ、と返答した。初めて会った時から、なんでドイツ人なんだろうって思ってたよ。自分がドイツで仕事を見つけられるのか、不安もある。でも頑張ってみたいと思ってるよ、という私に彼はこういった。

「自分のためだけにドイツに来て欲しくないんだ。」
プレッシャーが大き過ぎて、楽しいけど不安だし、このまま付き合って結局別れるのは嫌だ、それなら友達でいたい、というのが彼の結論だった。

結局私たちの気持ちは平行線のまま、でも彼を説き伏せて無理矢理一緒にいるのも間違っていると思って、「わかった」と私は答えた。「友達に戻ろう。」と。


人生初の感情をもたらした恋愛は、その終わりにも人生初の感情をくれた。
ただ彼の不在が悲しいという気持ち。これが失恋の痛みか、といっそ新鮮でさえあった。辛いけれど、いつものように自分の薄情さに嫌気がさすこともない。失恋してもなお、私の心は相手への愛情で満ちていて、ある種の満足感があった。

そして思う。相手のことを好きでいるということは、実は相手の感情とは何も関係ないのだと。ただ相手が幸せで、笑顔であってほしいと願う。そのために自分にできることがあるなら、やってあげたいと思う。愛って究極の「独りよがり」なんだな、と気づいた私は、失恋真っ只中なのだろうか、片思い真っ只中なのだろうか。


#創作大賞2023

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