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ドイツとの出会い

初上陸

2007年夏、初めてドイツに降り立った。私は子供の頃に海外旅行に行ったことがなかったので、それが初めての海外旅行だった。かろうじて飛行機だけは高校生の時に修学旅行で乗ったことがあったものの、人生二回目の飛行機、初めての国際線、初めてのトランジット、初めての海外の空港。目的地はドイツ、1年間の交換留学だった。

当時この話を誰にしても驚かれ、ロンドンからデュッセルドルフへの機内で隣り合わせたフィンランド人にもびっくりされたのは良い思い出。(ついでに人生初の外国人からのナンパはその彼だったな。)

昔からあまり恐怖心を感じることがなく、変化に対してはワクワクする気持ちの方が強い。と書くとものすごくアクティブな、勇敢な人間のように思われそうだけど、そうではない。私は自他共に認める「面倒くさがり」で、何かを変えるまでにものすごく時間がかかる。言ってしまえば、3日や1週間の旅行のためにあれこれ計画することができない。面倒臭すぎて。だからこそ、1年だったら行ってもいいな、と思ったのだった。

初めての海外生活

そうして始まった海外での新生活。カルチャーショック満載の日々になるに違いない!・・・と思っていた私の期待を全く裏切り、ドイツでの新生活は全くもって順調だった。大学での新しい出会いも、ドイツ語で学ぶ新しい授業も、何もかもただただ楽しく、語学の難しさはあったものの、それは想定内のこと。

気ままな一人暮らしは楽しいし、日に日に語学力が向上し、友人やお店の人とコミュニケーションが取れていくのも楽しい。東京と比べてはるかに田舎の生活だけれど、川が近く、公園もたくさんあって、散歩するだけでも気分がいい。

おかげでドイツに着いてから、親に初めて連絡したのは実にひと月後。これもまた、当時多くの留学生仲間に呆れられた。・・・と書くとまた自立心旺盛な人間に思われそうだが、そうではなく、いつも通り面倒くさがりを発揮していただけである。ひと月たってようやく連絡をとった娘に、両親は何も驚きはなかった模様。

「言うこと」と「言わないこと」

大したカルチャーショックもなくのほほんと暮らしていた中、その出来事はバスの中で起こった。いつも通り授業帰りにバスに乗っていると、ある停車場で、一人の杖をついたお婆さんが乗り込んできた。そして彼女は出入り口すぐそばの席に座っていた若者に向かって、こう言った。「私は足が悪いのでその席に座りたいの。いいかしら?」若者は「もちろん」と答えて別の席に移動し、お婆さんはさっきまで若者が座っていた席に座った。

たった一瞬の出来事。だが、私は呆気に取られていた。昼下がりのバスの車内の座席はスカスカで、他の席もどこでも空(あ)いていた。日本人的思考回路では、空(す)いているなら空(あ)いている席に座るだろう。だが、お婆さんは自分の都合により座りたい席を選び、希望した。そしてその口調が「なんてことない」口調だったのも私を驚かせた。

そうか、ここでは自分の希望を言っていいんだ。もちろん先方にはそれを断る権利だってある。だけど、「きっと言っても無駄だろうな」「変わってると思われるかな」という遠慮は必要ない。このことに気づいたとき、日本の「優先席」がなんて無意味な存在なんだろうと言うことにも思い至った。席を空けて欲しい人がいれば、言えばいいのだから。

そうすることをせず、「優先席」と言う席を設けることで席が必要な人をそちらに追いやり、逆説的に、優先席ではない席を譲ることを阻害している節すらある。その上で、優先席に座っている優先されるべきでない人々をじーっと周りが睨みつける・・・というのがよくある日本的コミュニケーションではないだろうか。「この人はなんて気が効かないんだ!」と周りで目配せする、あの感じ。

それに比べて、この人たちのやり取りはなんて気持ちの良い、まっすぐなコミュニケーションなんだろう!私は感激していた。邪推も忖度もいらない。自分がして欲しいことをただ言えばいいだけなんだ!これが私にとっての初めてのカルチャーショックで、そして、私はこの国がとても好きかもしれない、と思うに至ったきっかけであった。後々、この「コミュニケーションの取り方」に苦しめられる日も来るのだが、それはまた別の機会に。

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