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感じる乱読家は変わりたい(2/2)【間違いだらけの読書備忘録(2)】

(1)はこちら。

読書の吸収率

大学の終わりごろ、卒制も終わって大分時間があったので、図書館に通う生活をおくっていた時期があります。十冊借りて一週間程度で返してまた借りて……という生活をしていました。そのときは小説なども含めて借りていましたが、確か半分くらいは実用書だったと思います。

わたしの場合、日常的に通年なにかを読むという生活があまり続いたことがありません(漫画を除く)。年に何度か「読書しよう」と思い立って、十数冊を集中して読むという感じでした。

そのころ親しくしていた友人のひとりに、わたしと違ってガチの読書家がいました(後に書店に就職)。
で、当時なにを思ったかわたしは彼女に「最近本をたくさん読んでるんだよ」という話題を振り、「で、思うんだけど」とこんなことをのたまいました。わりとドヤ顔気味に。

「読書には『吸収率』があると思う」

同じ本を読んでも、読むひとによってその本の内容をどのくらい吸収できるかは異なる。そして以前と比べると、自分の吸収率は上がってきた気がする、みたいな話です。


誰か、こいつを埋めてください。

喋れないよう逆さまにして首まで地面に突き刺してください。あ、一応呼吸はできるようにシュノーケルか竹筒的なものをくわえることは許していただきたいです。

頭のド悪いガキでした(成人してたけど)。
今以上のにわか読書家が、遙かに読書ぱわー(?)の高い友人になにを言ってやがるのかと。しかも言ってる内容がとんでもなく見当違いです。
彼女の反応は当然「はぁ……?」みたいな気のない感じでした。

この話はイタい例ですが。
でもじゃあ、読んだ本の内容を100%理解し、身に付けることができるのかというと、それは酷く難しいですよね。
上の言葉はほぼ間違ってますが、そういう意味ではひとかけらくらいは「まあ、言わんとしてることは解る」と思わないでもないです。

本のレベルと読者のレベル

ごく当たり前の話なんですけど。
英語の解らない人間が字幕なしで洋画を見たら、ほとんど意味が解らないと思います。

また、幼稚園児が大人向けの小説を読んでも楽しめないでしょう。
同じように、社会に出たことのない中学生がビジネススキルアップの本を読んでもあまり理解は進まないはずです。

こんな感じで、ある本に書かれてることを理解するためには、前提となる知識や経験が必要です。そして必要な知識や経験は本によって異なります。

ですが「この本を理解するためには、こういう知識や経験が必要だよ!」という前説はされないのが一般的です。筆者の身分や出版社を調べることでヒントにはなりますし、序文を読めば自分に理解できそうかはある程度解るかもしれませんが、いずれにせよ読み手が意識しなければいけないことです。
そしてこれは本に限ったことではなく、芸術やエンタメ作品でも同じでしょう。

そしてこれはバイアスのかかった考えなんでしょうが、未熟な消費者ほど

「この本(や作品)は自分に合わない、もしくは自分はこの本を理解する前提知識や経験がない」

とは考えず、

「この本(や作品)はクソ! つまらん! イミフ! 金返せ!」

ってなりやすいんじゃないか? と思います。

もちろん世の中にはどうしょうもなくクオリティが低い本や作品があることもなくはないでしょうけど、それよりは"本や作品"と"受け手の持つ経験や知識"のミスマッチが起きる可能性のほうが高いと思うのです(余談ですが、大衆にヒットする作品というのは、そういう意味で現市場の最大公約数的、あるいは中央値的な知識や経験でちょうどよく共感できるレベルになってるのでしょう)。

だから「読書の理解率」というものは実際にあり得ます。ただ、それは絶対的な能力みたいなものでは決してなく、常に本のレベルと読者のレベルのバランスによって決まるものです。

読書の目的

ややこしいのは、仮に理解率が100%に近くても、「読書の吸収率」なるものとイコールにはならないだろうということです。
読書の目的が「理解」なら、≒「吸収」と言ってよいでしょうが、それ以外の目的がある場合、理解できても役に立たない、という結果に終わることだってあるでしょう。

それ以外の目的とは、例えば本に書いてあることの「実践」だったり、本に書いてあることに触発されて「考える」ことだったりです。
例えばスキル習得の本を読んで理解できても、それだけで習得はできません。小説を読むのと書くのとが大違いであるように、知ることとやることには決定的な溝が横たわっています。

最近わたしが読書をする目的は、昨日書いたとおり「じんせいをかんがえる」ことです。ここでいう「じんせい」は仕事と創作のことで、読む本はその観点から選んでいます。
だから「感じるとか言ってないで、考えろ」なのです。

で、あるからして。
わたしがこの「間違いだらけの読書備忘録」で書く内容は、

「その本を読んでなにを考えたか」

です。
なぜその本を読もうと考えたか、実際に読んでどういう内容が残ったか、そこからなにを考え、どう仕事や創作についての考えに繋がったか……そういうことを書くつもりです。要は徹頭徹尾自分のための備忘録です。

だからその本のあらすじやら書評とはほど遠いものになると思います。
「こいつなに頓珍漢な読み方してんだ?」と言われても仕方のないような、レベルの低い感想しか出ない可能性もありますが、それはそれで今のわたしのレベルが記録できるという意味で、(わたしにとっては)有意義だと思うのです。

その意味においてきっと「間違いだらけ」になりますので、予め言い訳と自己弁護を兼ねてサブタイトルに入れておこうと思った次第です。


というわけで今回は以上です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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