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今からでも間に合う!『嫌われる勇気』を読もう!

はじめに

あなたは、『嫌われる勇気』を知ってますか?
では、読んだことのある人は?

…読もうとチャレンジしたけれど、
じつは対話形式が苦手で、
読み終えることができなかった!

そんな衝撃告白をしてくれる方はいませんか?

一見読みやすい対話形式の文章は、
眠くなったり、
あきやすく読み進められない
原因になります。
(作者の岸見一郎さん、
古賀史健さん、ごめんなさい!)

そんなあなたの苦手にお答えするのが、
本noteです!

アドラー心理学を専門的に実践中のわたしが、
あなたが読みたくても読みきれなかった、
この『嫌われる勇気』を、
責任持ってナビゲートします!

ごぞんじの方もいると思いますが、
『嫌われる勇気』は、
先ほどから言っている通り、
対話形式になってます。

アドラー心理学を専攻する
哲学者(哲人)のもとを、
生きることに悩みきってる青年が、
うわさを聞きつけ、
訪ねたのが始まりです。

そこで青年は、自分の悩みや考えていることを、
哲人にぶつけていきます。

哲人はその問いに、ひとつひとつ
アドラー心理学の見方でこたえていきます。

わたしは考えました!
この物語をもっとてっとり早く
理解していただける方法はないか?

そこで、青年のぶつける問いかけを、
〈一般の考え方〉としてみました。
そして哲人の答えを、
〈アドラー的考え方〉としてまとめました。

その中間には、わたしの近辺で
おこった出来事を例にして、
哲人の導きがわかりやすいようにしました。

さらに、アドラー心理学をあなたが
納得できるように、〈この話の結論〉
も付けちゃいました。

大丈夫です!
あなたは、このnoteを最初から
読み進めるだけで、
『嫌われる勇気』の世界観を
理解できちゃいます。

それだけでなく、すぐにアドラー心理学
の専門用語を使えるようになります。

さらに、アドラー的な生き方も、
もれなく身についちゃうでしょう!

では、なぜ今回『嫌われる勇気』を
まとめる決意をしたか?

それは、悩んできた私自身が、
アドラー的な生き方に変えたことで、
人生がとても楽になったからです。

もしもいまあなたが、
家族の問題や、職場の人間関係に
悩んでいるとしたら、
本noteは、そんなあなたの助けになります。

アドラー自身もいいました。
『すべての悩みは対人関係の悩みである』。

あなたも、このどうにもできない
悩みを抱えているのです。

・親が勉強しろってうるさい→
親子関係のあつれき

・明日仕事に行くの嫌だ→
仕事の人間関係がわずらわしい

そんなあなたの悩みを少しでも軽くしたい!
それが私の願いであり執筆動機です。

アドラーはいいました。
人は変わろうと思った時に変われるのだと。

あなたは今、ドアノブに手をかけています!
今よりもっと自由になれる!!

さあ、ワクワクしませんか?
それでは、どうぞ!!

1.(出会い)(p2〜6)

【世界は複雑?それともシンプル?】

〈一般の考え方〉
世界は複雑ではないですか?

成長するほど難しくなる人間関係。そして増えていく多くの責任。

仕事と家庭と社会的な役割、すべてにおいて複雑になります。

それでは、一緒にイメージしてください。

あなたが暑い夏に、外からエアコンのきいた室内に入ります。

はじめは涼しくて気持ちがいいと感じます。しかし時間が立って体が冷えてきた時、外に出たとする。

こんどは、外の気温が、さっきと違って心地よく感じるはずです。…外の気温も室内の気温も最初とあとで変わってないのに。

〈アドラー的考え方〉
実は、世界も人生も、シンプルです。

なぜなら、複雑なのは「世界」じゃなく、「あなた」のものの見方だから。

あなたの見方が変われば、世界だって変わります。あなたがシンプルな見方をしてみましょう。

すると、複雑に思えていた出来事も、実にシンプルだと感じられるはず。


〈この話の結論〉

…人はみな、「客観的な世界」でなく、自分で意味づけした「主観的な世界」に住んでます。

…わたしたちはサングラスをかけていて、そのサングラスごしに世界を見てます。

黄色いサングラスをかけた人なら、世界を黄色に見てます。

そのサングラスをつけてることに気づいた時、それを外す勇気があるかが問われてます。


2.なぜ「人は変われるのか」(p24〜32)

【人は変われない?変われる?】


〈一般の考え方〉
あなたはどう思いますか?人は変わりたくても、変われない生き物ですよね。

皆が「変わりたい」と思ってるのは、何故ですか?それは、皆が変わりたくても変われないから。

もしも簡単に変われるなら、「変わりたい」とは願わないはずです。

それでは、こんなお話はどうです?
あなたには、不登校になって家で引きこもっているきょうだいがいたとします。

あなたは、そのきょうだいがどちらの考え方なら、解決して、生きやすくなると思いますか?

・育てた親が悪かった。あるいは学校で友達と気が合わない。そういう原因があります。そして、ぼくは不安だから外には出られないです。(原因論

・親に心配をかけたい。また、学校の友達に心配をかけたいため(目的)、ぼくは不安という感情をつくりだしてます。(目的論

〈アドラー的考え方〉
わたしたちがなにか問題を感じているときに。

起こった出来事に原因はありません。起こった出来事から人生が決定される訳でも、もちろんないです。

わたしたちは今この場所で、過去の出来事に新しい意味を与えなおすことが出来ます。

出来事に対して、意味を与えることで、自分の人生を決定し直せます。

つまり、起こった出来事のとらえ方も、自分がどう生きるかも、人から与えられることでなく、自分で選択することができます。

原因論…外の世界に原因を求めて、人のせいにしている。
目的論…自分の中に理由や目的を求めて自分軸で生きている。

〈この話の結論〉
つまり、物(過去)のとらえ方も自分の生き方も、自分で選択することができます。

人が変わろうとすることは、並大抵のことでないです。でも、変わりたいと思い、実行すれば、必ず変われるのです。

あなただったら、原因論と目的論、どちらが心にひびきますか?

3.人は怒りを捏造(ネツゾウ)する。(p32〜35)
【怒りの感情は自分でコントロールができない?それともできる?】

〈一般の考え方〉
怒りの感情から、怒鳴ってしまった。いつもは穏やかな性格なのに。

怒りの感情がわき、あらがうことができなかったです。

自分ではどうすることもできなかった。考えるより先に怒ってしまった。不可抗力だった…。

ある日のお話。

母親が、わたしが会社で支給されてきたマスクを、許可なく妹にあげました。

本当はわたしの持ち物のはず。それで抗議しました。

すると母親はわたしを押さえつけようと、ものすごい剣幕で怒鳴りちらしました。

その時、母親は妹に呼ばれて、怒りをいったんしまい妹と話をしました。

そのあとまた戻ってくると、再び怒りだしました。

〈アドラー的考え方〉
わたしの母親は、大声を出すために、怒りをつくり出しました。

大声を出すことで、彼女にとって過失のあったわたしを屈服させ、自分を通したかったのです。

そのために、怒りを捏造したのだといえます。

〈この話の結論〉
怒りは、出したり引っこめたりできる『道具』です。

自分の主張を通すための道具(手段)です。

このお話を、信じられますか?

4.あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの、ほか。(p44〜53)
【人の運命や人生はきまってる?それとも自分で選ぶことができる?】

〈一般の考え方〉
あなたはどう思います?

世界は不平等じゃないですか?

裕福で優しい両親に生まれた人間もいれば、貧しくて意地の悪い両親に生まれた人間もいるじゃないですか。

また、まだまだ人種、国籍、民族の違いは解決されない問題です。


想像してください。

たとえば、両親を交通事故で亡くし、孤児になった子が二人いたとします。

一人はグレて、不良になりヤクザになりました。

だけど、もう一人は、猛勉強をして大学を卒業し、弁護士になりました。そして、同じような恵まれない子どもを引き取って育てました。

もしも、後者の人間が、「自分は不幸だ」と決めつけ思い込み、何もしないでいたら、こうは変われなかったと思いませんか?

〈アドラー的考え方〉
生まれた環境が不幸だと決めつけるように、実は、「何が与えられてるか」を見ると、現実を変えることが難しくなります。

不幸だと感じるのは、自分で自分が不幸だと選択してるからです。

〈この話の結論〉
不幸だと思い込むと、その考えは固定されます。そして、あなたは身動きできなくなります。

確かに、自分がどこ、誰に生まれるかは、誰も選べないかもしれません。

でも、どうかそこで終わらずに、じゃあどう生きていくかを選ぶことを、やめないでほしい。

だって、かけがえないあなたの人生で、それを変えていけるのはあなた自身なのだから。


5.言い訳としての劣等コンプレックス、ほか(P78〜90)
【優越性の追求とは? 劣等感と、劣等コンプレックス。 優越コンプレックス…名前がみんな似ているね】


〈優越性の追求とは〉

人は、「無力な存在」として、この世に生まれますね。

こんな言い方はひどいですが、赤ちゃんは半日でもほうっておけば、命を落とします。

その弱さから抜け出したい、より良くなりたいという「普遍的な欲求」を人は持ってます。これが、優越性の追求です。

今よりも上に行きたいという願いです。向上心です。自分の理想の状態を追求することです。

〈劣等感〉
自分はまだまだだな、という思いです。

実はこれはあなただけでなく誰もが持つもので、それ自体は悪いものではありません。

これは、努力したいとか、成長したいという思いの原動力になります。

人は、この劣等感を克服しようとして、より前に進むのです。

〈劣等コンプレックスは、劣等感とどう違うの?〉
自分が抱いている劣等感がありますよね?それを、何かを避けるための言い訳として使い始める状態のことを劣等コンプレックスといいます。

例えば、「わたしは赤面症だから、大好きなあの人に告白できない。」ということです。

ほかに、「自分が結婚できないのは、子ども時代に両親が離婚して、心に傷があるからです。」などです。

「AだからBできない」。

では、お聞きしますね。
「わたしは学歴が低いです。だから成功できません。」というのですね?

では、「学歴さえあれば、わたしは成功できるんだ。」ということなんですか?どうでしょう?

〈優越コンプレックス?ややこしい!〉
これはですね、努力や成長することで、劣等感を克服してやるという勇気がないことです。

かと言って、さきほどの、劣等コンプレックスにも我慢ができないです。「できない」という自分を受け入れることができない状態です。

そこで、わたしは優れているのよ、というフリをすることで、「偽りの優越感」にひたるのです。

例えば、人よりも派手な服装を着る、目立つ行動をする、などです。わたしは優れているのよ、と見せびらかすことだと思ってください。

そして実は、劣等コンプレックスと優越コンプレックスは表裏一体なんです。

劣等コンプレックスを持っている人は、優越コンプレックスを持ちやすくなります。

どういうことかというと、先ほどの、「わたしは学歴が低いから、成功できない。」(劣等コンプレックス)を見てみましょう。

「だから、学歴の高い旦那と結婚して、優越感にひたっているのよ。」(優越コンプレックス)となるのです。

小さいと感じている自分を、実際よりも大きく見せることだと思ってください。


〈整理しましょう〉
優越性の追求:「わたしはもっとできるようになりたい!」

劣等感:「自分なんて、まだまだだな。」/「なんでこんなことも出来ないんだろう。」

劣等コンプレックス:「自分て、なんでできないのだろう。もう消えてしまいたい…。」/「ここから逃げ出したい。」

優越コンプレックス:「自分て、できないな。だけどそんな弱い自分をみせたくないな。」/「じつは俺、あの有名人と知り合いなんだ。」/「これってスゲー車でしょ?」


6.人生は他者との競争ではない(P91〜94)
【人と人は同じ、ではないかもしれませんが…】



〈一般の考え方〉
大人と、子どもって、だいぶ違うじゃない?体格も体の大きさも、頭の使い方だって違いますよ。

アドラーは、人間関係は、横の関係、つまり対等だっていうけれど。

そんな大人と子どもって、本当に対等な存在って言えますか?

例えば、遊園地で、同じジェットコースターの順番待ちをするAさんとBさんがいたとします。

Aさんは、開園と同時に並びました。でもBさんはそこから30分後に並びました。

Aさんはすぐに乗れました。Bさんもそこから約30分待ったけれども、乗れたんです。

乗る時間に差はあったものの、2人とも乗れたことに差はない。

つまり、わたしたちは先を行こうが後を行こうが、対等であり、べつに優劣を競っているわけではないのです。

人生もそれと同じではありませんか?

〈アドラー的考え方〉
人には上下の差はないです。

誰もが違った人間ですが、そこに善悪優劣の価値を入れてしまうのは、間違いです。

〈この話の結論〉
こどもは、大人であるあなたに比べたら、物事を成功させる力は弱いかもしれません。

けれども、人間としてみた時に、そこに上下関係はなく、ただそこに生きてくれてるだけで、愛すべきそして尊い存在なんです。

お互いの命の重みを感じられませんか?


7.「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない(P132〜138)
【えっ?褒めてもいけないの?】


〈一般の考え方〉

何を言ってますか。

人から褒められることで、自分への価値が見いだせます。

人からの褒め言葉を得ることで、自分の劣等感をぬぐい去ることができるんです。

自分に自信が持てるのは、人からの褒め言葉があるからじゃないですか?

あなたは、「◯◯さん、仕事やっといてくれたんだね。えらいね。」と同僚にいわれた場面を想像してみてください。

…なにか違和感はないですか?


〈アドラー的考え方〉
アドラー心理学では、ほかの多くの心理学と違って、褒めることも否定しています。

なぜなら、褒めるのは、上の人間が下の人間にすることだから。

人は上下の関係ではなく、横の関係であるべきだ、としています。

人からの褒め言葉は、実は賞罰教育の影響。

・適切だった→褒める。
・不適切だった→罰せられる。

わたしたちは、他者の期待を満たすために生きてるのですか?

他者からの称賛の声をほしがり、評価を気にする生き方は、他者の人生を生きていると言いきれます。

〈この話の結論〉

こういう人でいて欲しいと相手の期待を満たすことは、本来の自分から離れて、相手の人生を生きてると言えます。

…あなたは自分の人生に注力したくはないですか?それとも人の期待を満たすために、その人の人生まで生きたいですか?

※ただし、仕事上の立場としての上下関係は時に必要です。例えば、自衛隊はどうでしょうか?あなたの意思を尊重するから、自由にやってくれ、と言うでしょうか?上官が部下に命令を出さなければ、全滅することだってありえます。アドラーもこのような上下関係については、認めています。
(野田俊作『劣等感と人間関係』参考)


8.「課題の分離」とはなにか、ほか(P139〜155)
【課題の分離?…冷たくないですか?】


〈一般の考え方〉

なかなか自分から勉強しようとしない子どもがいた。

あなたが親だったらどうします?

…そりゃそうですね、親の勤めを果たすまでですね。

あらゆる手を尽くして勉強させます。塾に通わせたり、家庭教師をやといますね。

〈課題の分離〉
ちょっと待って。「勉強する」という課題がある時に、これは誰の課題だろうかと考えてください。本当にあなたの課題ですか?

…だれの課題かを見極めるのが難しいときは、「最終的にその行動の先にある結果を引き受けるのは誰なのか」ということを見てください。

〈アドラー的考え方〉
勉強は子どもの課題ですよね?

親の課題ではないはずです。

子供の代わりに親が勉強するんでしょうか、しないですよね。

親が子どもに対して勉強を強いるとすれば、子どもの課題にズカズカと上がり込んでいるようなものです。

〈この話の結論〉
対人関係におけるトラブルの根本は、他者の課題にふみこむことにあります。

「あなたのためを思って」、くどくど勉強をとく親の心理はどこにありますか?

それは、世間体や見栄のためだとか、支配欲がみえ隠れしているのではないですか?

子どもは敏感にそのことを察知します。そして親に反発心を覚えます。

必要なのは、子どもの人生や勉強に口出しするのではなく、見守ること。

これはあなたの課題だと伝えた上で、もしも勉強したくなった時は、いつでも援助することができるんだと伝え、見守るんです。

じゃあ、子どもが勉強しないのをそのまま見過ごせというのでしょうか?…違います。

・相手を信じること=自分の課題
・その期待や信頼に対して子どもがどう動くか=子供の課題

もしもあなたが他者の課題を背負うこと、他者のぶんの人生を生きるとしたら、自分の人生を重いものにしてませんか?

(諺)があります。
『馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない』

・馬を連れていく→あなたの課題
・水を飲む、飲まない→馬の課題

課題の分離は、お互いの課題の間にせんびきをして、踏み込まないのをよしとします。


9.ほんとうの自由とはなにか(P160〜165)
【自由ってなに?あなたは説明できる?】


〈一般の考え方〉

人からは嫌われたくないなあ。あなたはそう思いませんか?

わざわざ人から嫌われることを望む人なんていますか?

嫌われたあとは…苦しいの一言じゃないですか?

どうして嫌われてしまったか、自分の言動のどこがまずかったか、もっと違う接し方をすればよかったのか、そんなことで悩んでしまいませんか?

…嫌われたくないと思った。だから何でも頑張って仕事をこなしていたのに…。

蓋を開けてみたら、顔面神経痛になった自分がいただけだった。誰も感謝なんかしてくれなかった。

…もっと自分を出せてたら、こんなことにはならなかったのに…。


〈アドラー的考え方〉
自由とは、究極、他者から嫌われることであると言えます。

すべての人から嫌われない生き方をすれば、きゅうくつで、不自由だとは言えませんか?

それでは病気になってしまうかもしれません。不可能な生き方です。

嫌われる可能性があることを、恐れずに進みませんか?これこそが、人間の自由なんです。

〈この話の結論〉
嫌われたくないという願望はわたしの課題かもしれないが、わたしを嫌うかどうかについては、もはや他者の課題。

わたしをよく思っていない人がいたとして、そこに口出しするのは不可能です。

幸せになる勇気には、嫌われる勇気もふくまれています。


10.自分には価値があると思えるために(P204〜207)
【あなたは、目の前の人を勇気づけできますか?】


勇気づけという、アドラー心理学の言葉があります。

英語のencouragement(エンカレッジメント)からきてます。未だに適当な訳語がなく、『勇気づけ』と呼んでいます。

勇気づけの根本は、人間関係を横の関係でみていることです。

横の関係は、相手を評価しません。なぜなら、評価することは、縦の関係になるからです。

〈勇気づけの例〉
・「ありがとう」…感謝の気持ちを心から伝える。
・「助かったよ」…お礼の言葉。
・「嬉しい」…素直な喜びの言葉。

では、くり返しですが、「褒める」は嬉しいですか?

これは、他者からの評価です。評価は、縦の関係でしたね。

良いか、悪いかは、自分ではなく他者が決めることでしたね。

〈この話の結論〉
人はどういう時、自分には価値があると思えますか?

それは、「わたしはこのグループにとって有益だ。」と思えたときです。(共同体感覚と言います)

人から「よい」と評価されることでなく、「わたしは他者に貢献できている」と、主観的に思えることです。


11.自己肯定ではなく自己受容(P225〜229)
【自己肯定感て、大事なんじゃなかった?】


いえ、自己肯定ではなく、自己受容しましょう。
では、自己受容ってなんでしょう?

自己肯定…出来もしないのに、自分には出来ると思い込んだり、自分は強いと暗示をかけること。

これは、自分自身に嘘をついた生き方で、自分は優れているんだという優越コンプレックスにもつながります。

自己受容…できない自分をありのまま受け入れて、そこから出来るようになるを目指していくこと。

〈この話の結論〉
交換がきかない出来事を、まずは受け入れることです。

自分に対してもそう。

そして、受け入れたありのままの自分を、今度は変えることが出来る部分について変えていく『勇気』を持つこと。


12.信用と信頼はなにが違うのか(P230〜236)
【あなたは信頼できていますか?】


信用と信頼の違いを見てみます。

・信用…条件つきで相手を信じること。英語でいうcredit(クレジット)にあたる。

〜例えば、担保をさし出して、その代わりにお金を貸してもらうことです。

・信頼…相手を無条件に信じること。たとえ裏切られるとしても、信じることです。

信頼の反対は何ですか?それは懐疑になります。

そして、この疑いの気持ちは、相手も感じとります。

無条件の信頼があるからこそ、深い関係が築けるのです。

〈この話の結論〉

誰かを無条件で信頼すると、裏切られたときのことを恐れます。

ですが、ここでも課題の分離で、裏切る、裏切らないを決めるのは、他者です。

相手が裏切らないからわたしも与えます、これでは、「信用」でしかない。

裏切られることを恐れずにそれでも相手を信じきれる勇気は、自己受容から来ています。

もしも信頼することに恐れを抱いているなら、結局は誰とも深い関係を築くことができません。

わたしたちは信じることができます。疑うこともまた、できてしまう。

でも、わたしたちは共同体(社会)の一員として、他者を仲間とすることを目指してます。

それであなたは、信じることと疑うこと、どちらを選びますか?

13.仕事の本質は、他者への貢献と、ほか(P236〜244)
【共同体感覚のために必要な3つの柱】


自己受容、他者信頼と他者貢献、この3つが共同体感覚を持って生きるためには、必要なものです。

少し整理します。
自己受容は、ありのままの自分を受け入れ、そこから進歩を目指すことでした。
他者信頼とは、自分以外の人間を、無条件で信じることです。

そして3つめの他者貢献。これは他者を仲間だと思うこと。

「ここにいてもいいんだ」という、グループへの所属感を持つことです。

このとき、他者貢献を持つためには、自己受容と他者信頼の両方が必要になる。

そしてその仲間としての他者に対して、何かしらの働きかけ、つまり貢献をしていくことです。

共同体感覚っていう難しい言葉はそもそも何ですかね?

これは、あるグループに属しているんだな、という所属感です。

グループとは、小さいものだと家族、学校そして会社、コミュニティ、社会、日本、世界、人類、地球です。

もしも、家庭に居場所がないとします。そうしたら、それよりも大きなグループに属して貢献することをイメージしてください。

家庭がだめなら、学校、学校がだめなら、コミュニティでのびのびと自己受容、他者信頼、他者貢献できたらいいです。

迷った時は、より大きなグループにとって有益になる方向へと進んでくださいね。

ここで、他者貢献についてもう少し深ぼりしますね。

人に対して、貢献する時に、自分を犠牲にして相手に尽くすのですか?
違います。

自己犠牲=自分を犠牲にしてまで相手に尽くすこと。
他者貢献=あなたの存在意義を確かめるためになされる行為。

〈一般の考え方〉
では、他者に貢献すると言っておきながら、結局は自分の存在を確かめる、つまり自分のためだというのはどういうことですか。

…これは『偽善』に当たらないのですか?

毎週末になると、街のゴミ拾いをしている友人がいます。彼は「誰も褒めてくれない」といって、やめようとしません。

なぜなら、彼にとってゴミ拾いは、人から褒めてもらうためにやっているのではなく、みんなが、そして自分も使わせてもらっている街だから、喜んで清掃を行ってるのです。

〈アドラー的考え方〉
貢献感とは…相手を仲間だと思い、心から仕事や家事にのぞめること。
偽善とは…相手を敵だと思いながら、イヤイヤ仕事や家事を行うこと。

お母さんが、あなたの食べた後のお茶碗を、イヤイヤ洗っていたら、あなたもいやな気持ちになりませんか?

お茶碗を洗ってくれるお母さんに家族への貢献感を感じませんか?


14.人はいま、この瞬間から幸せになることができる、ほか(P250〜262)
【幸福とは、何ですか?】

では、
不幸とは…人間にとって最も不幸なことは、自分を好きになれないこと。
幸福とは…人の役に立っているという貢献感のこと。

〈一般の考え方〉
実は、この世に生を受けた証として、後世になにかを残したいです。

ほかの誰でもない自分という特別な人間を世に示したいです。

〈アドラー的考え方〉
もしかしたら、あなたはそう考えますか。
では、こう考えられませんか?

普通なこと、平凡なことが、果たしてよくないことなんだろうか?なにか劣っていることなんですか?

…実は誰だって普通なのではないですか?

〈この話の結論〉
実は、特別によくあろうとする考え方は危険です。

なぜなら、善いことで目立てなかった場合、悪いことで目立とうと考えたくなるからです。

テストでいい点を取れなかった子どもが、授業中に消しゴムを投げあって遊ぶ場面を、想像してください。

普通であることのほうが、それよりもよっぽど健全なのです。普通であることは、無能とイコールではありません。


15.終わりに


いかがでしたか?
本編は以上になります。

ですが、チョット待って!
もう少しお付き合いください。

本編をお読みくださったあなたに、最後に大切なお知らせがあります。

…実はわたしは、悩み、苦しみの多い人生を歩んできました。…それはみなさんも同じはずです。

わたしは悩みすぎたあまりに、ある時心の病におかされます。そしてそこから約15年間、苦しみ抜きました。

そんなわたしを変えてくれたのが、アドラー流のコーチングとカウンセリングでした。わたしはコーチカウンセリングの学校で、食らいついて学び倒しました。

それで今ある自分になれたのです…。

こんなはずじゃなかった。人生は実はそんなことの連続です。

ですがアドラー心理学ならば、あなたの人生を照らしてくれるはずです!

通常、コーチングはコーチが、カウンセリングはカウンセラーが行います。

ですが、わたしは学校でその両方を修め、そしてプロの資格試験にも合格しました。

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