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私じゃだめかい

昨日、実家の両親を訪ねた。車で1時間ほどの距離で、両親共に毎日ヘルパーさんにお世話になっている。
昨日は父の体調が良くなくて、朝昼食事せずに寝ていた。病気なのではなくて、時々身体が重く怠くなるらしい。
私は老人性の鬱だなと思っている。

両親は共に20代前半で牧師になり、献身の生涯を駆け抜けて来た。牧師を引退した後に、頼まれて牧会に戻った事もあるが、今は完全に引退している。年相応に足腰が弱り認知症になり、介護施設に入所が妥当だけれど、
お試しショートスティでさえ、行きたくないが為に数日前から絶食の抵抗をするという子供じみた作戦で徹底拒否をするので、施設の道のりは遠い。

ケアマネさんに至っては、
「この生活状況で2人共に入所拒否はむしろ珍しい。なんならどこまで、2人共に在宅でいけるか、サポートをどうするか考えるのに燃えてくる」
と言うくらい。

教会生活で2人で好きな時間に食事をして、自由な時間の使い方をしてきて、世話はしてもされる事はなく、高齢者を楽しませて、世話してきた事が
施設入所を拒む最大の理由になっている。

コロナ禍になり、教会での礼拝は中止になっている。牧師として何か頼まれる事もない。認知症は急激に進むし、牧師として何も役割がない事が心と霊を弱くしていった。
私にしてみれば、忠実な主の僕として走るべき工程を走り抜けたのだから、
よくやったな!
と自分で自分を褒めて、出来ない、頼まれない事に価値を置くのではなく、
神の栄光に日に日に近づいて行く喜びで過ごせたらいいのになぁ
と思うけれど、それは娘だから老いてないから思うこと。

昨日父は
「早くお迎えこないかなあ」と言った。私にはすぐ上に生後10ヶ月で突然死した姉がいた。父はその娘の所に早く行きたい、迎えに来て欲しい
と思っているのだ。
ベッドに座って、父の手をさする私にそれを言うのか、、、
と思ったけれど。
目の前にいて手をさする生きた娘ではなく、死んで天国にいる娘の所に早く行きたい。

それほど寂しく、無力を感じているんだなぁと思った。
私は「お迎えはさ、必ずくるから
もう少し待とうか」と
言った後に
「まぁ当分こないと思うよ〜」
と言ったけど。

霊的同伴者として歩んで、もうすぐ1年になる。
両親の介護は究極の霊的同伴になるなぁ
と感じる。
両親の人生の最後の霊的旅路を娘として霊的同伴者として歩んで行こう
と思う

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