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いちばん初めに書くべきだった

初めての記事を投稿した際に、次は自己紹介をと言ったのを忘れていた。

しかしきっとこの記事を私の知人も読むのだと思うと、改まって自己紹介するのも気恥しい。自分語りアクセル全開人間だと思われるのもなんだかなあという感じなので、「好きな食べ物はお寿司です」くらいしか言えない。ちなみにネタはサーモンといくらが好き。鮭。

ということであまり自己紹介にはならないが、今回は私がnoteを始めた理由をお話したい。これを読めばだいたいどのような人間なのかは分かるだろうという勝手な算段だ。


なぜnoteを始めたのか

それは巷のSNSツールで発信していくことに窮屈さを感じたから。
普通も普通、なんの面白みもない理由である。

元々私はTwitterをメインのSNSとして利用していたが、私の投稿を見て時に何かしらの反応を示す「フォロワー」の影を煩わしく感じることがあった。

人間だもの、ときにはセクシャルな話から政治的な話まで首を突っ込んでみたくなるものであるが、そういう話をするにはあまりにも足元が泥濘んでいる気がする。Twitterは。

何の気なしに選んだ話題ひとつ、言葉ひとつで足をすくわれた人をたくさん見てきた。             「誰も貴方のことなんて見てないよ」
そんな顔で平然と生きている人達が、赤の他人の言動に逐一口を出さずにいられない矛盾。そこには140字の「軽さ」が一因としてあるのだろう。

「だってSNSってこういうものでしょ?」
そんな傲慢さが板についた人たちがたった数秒で入力し、送信した言葉。たった140字以下。

嫌なら見なければいいというのは半ば暴力的な正論である。私にはインターホンを鳴らして即座に逃げていき、遠くから住人の様子を伺う「ピンポンダッシュ」に近いものだと思える。嫌ならドアを開けなければ良いという問題ではない。無用なインターホンの甲高い音は思っている以上に耳障りで、ドアの外で笑って様子を伺っている人達の存在が既に住民にとってはストレスだ。

このときフォロワーというものはご近所さんのようなもので、特に私の家を知っている。毎日笑顔で挨拶をしていても本当に隣の芝は青く見える。古今東西、火種の種類は常に決まっている。


そうです、「妬み・嫉み」です。

回覧板に見せかけたピンポンダッシュはやめましょう。いくら私の家にプールがついていて庭ではチベタン・マスティフ(超高級犬)が寝そべっているからと言ってもダメです。私の心は母校である大阪府立大手前高校のグラウンドよりも狭いです。


と、ここまで偉そうに話してきたがお気づきの方もいるだろう、これは過去の私に対しての戒めだ。ひとが偉そうなことを言う時はだいたいその矛先が自分にもよく刺さる。そして面白いくらいに血が出る。血小板が追いつかない。こんな大怪我をしてまで私が言いたいことはつまりこうだ。



もうめんどくさくなったのである。

申し訳ないがこれに尽きる。
さあ救急車を呼んでくれ。救急隊員は綾野剛と藤原基央でお願いします。

「見て欲しいけど見られたくない」
「見たくないけど見てしまう」

何年もタイムラインを追い続け、ジレンマにジレンマを重ねた私が逃げ出した先がこのnoteだった。ここならきっと大層な物好き以外集まらない。きっとみんな庭先にチベタン・マスティフを飼っているし、ネギも紀伊国屋で買う。たぶん。

良い意味で自分が生きることに一生懸命だから、ひとの日常には執着しないはずだ。
そう思ったから私はここで好きに発信していくことにした。それはすなわち、私も一生懸命に生きていくということだった。

文字を紡いでいくことで初めて自分の思いや考えに気がつくということが、小学生の頃からよくあった。その頃はスマホはおろかガラケーすら持っていなかったので、「ひみつのノート」というものに家族への不満やら将来の夢やら好きな人への想いやら、思い浮かんだことをなんでも書き綴っていた。中1の時に買ってもらったNintendo DSiはネットが使えたので、ひみつのノートでの話題はmixiの日記へと移行した。今思えば完全に棺桶行き案件であるが、そのおかげで私のアイデンティティはブレずにここまでやってきた。しかし高校生になってスマホを持つなりLINEが出てきてTwitterの存在も知った。短い言葉で成り立つ世界に慣れると、文字を紡ぐ必要はなくなってしまった。不満や悩みもLINEで友達に聞いてもらえればそれで満足で、日記代わりにDECOLOGは更新していたけれど、大方はLINEのタイムラインで十分だった。みんなそんな感じだった。

そうして大学生になった私であるが、mixiもDECOLOGもLINEのタイムラインも廃れた今、私に残されていたのはTwitterだけだった。

文字を紡ぎながら考えをまとめるという幼いころからの癖は、どうやら簡単には抜けないらしい。無意識のうちにTwitterでも思考することに挑戦してきたのだと思うが、私には向かないなという結論に至った。色々めんどくさいので。これからはnoteで一生懸命がんばります。


にしてもこんなつまらない話題でよくここまで長々と書けたものだと我ながら感心する。
ここまで読んでくれた貴方も大層な物好きなんだろう。お宅のチベタン・マスティフは元気ですか?ちなみにチンギス・ハンはこの犬を軍用犬として3万匹引き連れて西征したらしい。なんだかここでも血の匂いがしてきましたね。


私に著作権がないマスティフの画像の代わりに、大晦日に自作したいくら丼を載せておきます。



美味しかったです。

それでは。





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