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「傷つきたくない」の真相と「傷つくこと」を直視しなかった結果はこうなる🌹


この記事の続き🌹


サムネイルは、5年前の昨日の私🌹


やっぱりセトアが好きなんだなと再確認🌹


生きがいや夢や目標がない人って、

いつも通りに勇気を出さず、

傷つくことから恐れて、

自分を傷つけた結果です。


「傷つきたくない」が、先走る人は、
総じて、

「傷」を直視していない。


そもそも、傷ついた時に、それを感じることから
逃げて、誤魔化した結果、

直視しないまま、「傷ついた」という思い出に
浸っているだけです。


ちゃんと感じていないんだから、

本当に傷ついたのかすら明らかではない。


とゆうか、

劣等感を感じたことを「傷ついた」と思う人もいるんだし、

「傷」の元の感情を感じなければ、
なんにもわからない。


実態がないのに、


「傷つきたくない」が、先走るのは、
幻想に支配されている可能性が高いんです。



傷をガン見しなければ、なんにもわからないけど、

「傷つくことを恐れる」習慣が身についていると、

傷をガン見することをもっと恐れる。


てゆうか、

多くの人が、明らかではない「傷」に執着して、

チャレンジを諦める。


チャレンジどころか、発言すら諦める。


体と同じで、傷はよーく見ないと手当てが出来ない。

目を閉じたままで、体の傷の処置をされたら
普通に怖いじゃんね。

かと言って、

「見たくないから」って放置しておくと、
やがて化膿して腐敗する。


すり傷に、大がかりな手当は不要だし、
大きな傷には、ちゃんとした手当が必要。

 
かすり傷を放置して、
傷を広げているのは自分自身です。



人のせいにはなりません。


目を見開いて直視すれば、感じることが必ずあるし、

感じれば癒される。


感じることから逃げるから、いつまでも、
癒されないんです。


「傷ついたー」の一言で終わらせるけど、

「なぜ傷ついたのか」を明らかにしないと、

同じ原因で、あらゆることを現実に起こす。


傷を直視するのは、怖くないよ。


なぜなら、基本的に、

過去の傷を、盛っているから。


執着すればするほど、盛る。

かすり傷を、切り傷みたいに盛る。


傷ついたら死ぬ勢いで、傷つくことから恐れる人が
多いけど、

恐れから逃亡していることが、
自分を傷つけているんです。


メリットとしては、「可哀想なわたし」という被害者になれること。


被害者意識が強い人ほど、「傷」を直視していない。


傷つくことから恐れていると、

人間関係に自信がなくなるから、

人と上手くコミュニケーションが取れなくなる。

さみしいやん。


自尊感情が低くなる。


若い頃に、恋愛を通して、
自尊感情を満たす経験をしていない人は、

生きて行くたびに、どんどん自尊感情が低くなる。

だから、失敗したくないから、
なんにもしない、無難を選ぶ。


ヌボーっとしていたら、傷つくこともないし、
失敗もないし、困難もないもん。


別に恋愛だけが原因じゃないけど、

依存する恋愛、我慢する恋愛をする人は、

自尊感情を満たそうとして、失敗するんです。


なぜなら、

いつも通りに勇気を出さず、
傷つくことから恐れたままで、

自尊感情を満たそうとするから。


自尊感情の低さって、劣等感の強さでもあるから、
劣等感を感じないと終わらない。

劣等感の握りしめを直視しないと終わらない。


そもそも、

わざわざ、いちいち優劣で判断する思考を疑わないと
劣等感は手放せない。


傷つくことから恐れているんじゃなくて、
劣等感を感じることから逃げているだけです。


劣等感から逃げるには、諦めるのが1番という
短絡的思考だと、

人生を諦める。


容姿にコンプレックスを持っている人は、
特に、劣等感を長きに渡り握りしめているから、
恋愛においても、劣等感を感じないようにする。


容姿にコンプレックスが無い人なんて、
滅多にいないと思うけど、

コンプレックスを失くすか、

コンプレックスを人のせいにして被害者ヅラをするかの違いです。


絶食系男子、絶食系女子は、
コンプレックスに支配され、「幸せな恋愛」や、
「幸せな家族」を諦めた典型。


いや、そもそも家庭環境が劣悪過ぎて、
結婚や家族に絶望しかない人もいるだろうけど、
家庭環境が劣悪だったからこそ、

幸せな家庭を望む人も多いから、

やっぱり劣等感です。


劣等感を握りしめていると、
劣等感を感じる現実をどんどん積み上げていく。


そして、

「傷つきたくない」に、変換している。


心の傷を直視して、癒している人じゃなきゃ、人の傷みなんてわかるわけないよ。


傷つくことから恐れる習慣を持つ人は、

人の傷も直視できない。


そもそも、恋愛において、
傷つかない、傷つけないなんて不可能です。


傷つく覚悟と、愛される覚悟があるから、
愛されるってだけ。


傷つける覚悟も、その事実を引き受ける覚悟も。


ちなみに、不倫はスタートから明らかに誰かを
傷つけるとわかっている行為だから、
別物。

罪悪感という自分の感情を人に背負わせているだけ。


張り切って「人のせい」にする人は、
総じて、

罪悪感を人に背負わせようとするけど、

自分が握りしめて一体化したんだから、

背負うのは自分です。


背負っていないと手放せないし。


不安も同じ。


不安になったら、人のせい、
八つ当たり、などなど、

とにかく感情を人に丸投げしているから、

「傷つくことを恐れる病」を無意識に発症し続ける。



不安や恐れの共有をしてきていないからです。

感じていないと共有できないし、

なにが、どうなったら不安で、

何を恐れているのか?


を、共有しないと相手には伝わらない。


「不安で〜」「不安なんです」
「怖くて〜」

と、言っていても伝わっていないし、
これは共有していることにはならない。

そのくせ、

「わかってくれない」というけど、

わかるわけないんです。

「どうせ、わかってもらえない」


と、不貞腐れている人のほとんどが、

わかってもらえなかった。じゃなく、

わかってもらえるように言葉を尽くさなかった。

です。


共感って、

その人の状況に対して理解を示す共感と、

その人の感情への共感があるけど、


明らかに説明されなければ、共感しようがない。


ただ、上っ面勢は、すーぐ共感したふりをするから、

自分の説明不足に気づかないし、

相手のこともわからないまま。

なんなら、知ろうとしない。


自分を知ろうとしないのに、人のことなんて
知ろうとするわけないんです。


いつも通りに勇気を出さず、
傷つくことから恐れて、

自分を知ることから逃げるんだもん。


自分を知ること=傷つく


という、思い込みの激しさに気づいた方がいいです。


自分を知ること=愛すること


だと、知っている人は、

自分を知る。


自分を知ること=傷つくこと

だと、勘違いしている人は、自分を知らないままで
生きていく。

なにより怖いことを選択する。


過去に傷ついたことの実態を明らかにしないと、

愛は感じられない。


愛に生きることを、万人が望んでいるのに。


自分の中の愛を感じて、
この世の全ては愛だと感じられるんだから。



頭で知っても、体感しなきゃわからない。

頭で知っても、体は感じない。

体感したら、愛を間違いなく感じられるんです。


自分を知りたくない理由を明らかにするといいです。

自分を無条件に受容するには、
知らなきゃね🌹


「どんな自分も愛する」と、唱えても、

自分が自分の感情から逃げた時点で、

全く愛してないし〜になるよ。


感じ切ることで、癒されるし、
逆に言うと、それしか癒しようがないんだから。


やましさは、感情から逃げた時の思考。

やましい時に、人はわかりやすく、

無意識に無自覚に体を動かす。

または、思考停止。

ということを意識して自分をみていればわかるのに。


長年、傷を放置してきた人は、
当然、相応の時間がかかります。


だけど、

自分を知ることから逃げるために生まれてきていないですからね。


愛を感じ、拡大するために、
生きているんだから。


くだらない打算や損得で考えているうちは、
ずーっと不感症です。


魅力溢れる人は、めっちゃ丁寧に感じて
味わっているよ。


自分の都合に関係なく。

とゆうか、自分の不都合な感情ほど感じないとだし。


自分が不都合だとジャッジしている感情の中に、光があるんだから。


楽しい、嬉しいも、悲しいも同じです。

怒りも同じ。


とゆうか、悲しいより前の感情をスルーするから、

「悲しい」で、終わるんです。

そして、それは、

「傷ついた」から、「傷つけられた」に変わる。


悲しみを避けて生きることは、
喜びを避けて生きることです。


刹那的に生きても、のちに虚しくなるだけよ。


私は、全て、本気で感じているよ。


感情を感じるたびに、全ての動きを止めて

感じている。

じゃなきゃ、感じられないもん。


家にいる時は、ベッドに寝転んで、
ずーっと感じるし、

感じ残したことを感じている。


感情は、私のものじゃないということが
心底わかっていれば、客観的に思考できます。

つまり、感情を明らかにできる。


たまに、そのまんま寝落ちすることもあるけど笑


ちなみに、暗くなっても意味はないので、

軽やかに感じていまーす🌹

どれだけネガティブな感情でも。


感じきったのちに、感じる安らぎが、
正位置🌹


安らぎは、

傷つくことを恐れていては、
感じられない。


とゆうか、私は傷つくことを恐れないから、
傷つくことを恐れる思考を経験した記憶がないけど、

傷つくことを恐れる病の人は、
この記事に書いたテンプレ思考をしています。

テンプレ思考を手放せばいいだけです。

めっちゃ意識すれば、手放せます。


明らかにするのだって、算数が得意な人は
簡単なはずでーす🌹

素因数分解をすればいいもん。

淡々と。

算数が絶望的に苦手な私が出来るんだから、
算数が得意な人は簡単でしょ。


主観で、見なければ。


でも、これは、人に教えてもらうのが1番です🌹

私は、もちろん、

人の力を借りて明らかにしてもらうことが、
たくさん🌹

ありがたいことです🌹

自分では気づけないわたしに気づいてくれる人たちがいることが、
とても幸せ🌹


ハッとするぐらい、ど真ん中なことほど
気づいていないんだから。笑

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