GAME3 好きなことがわからないなら「全て全力でお願いしてみよう」
「自分の好きなことがよく分からなくって。」
最近大学生の友人が増え、そんな相談をよく受ける。考えすぎて方向性が見えなくなったり、不安で何も決断できなくなったり。誰にでもそういう時期はあるものだ。そういうとき私は、数年前カフェで交わしたラナンとの印象的なこの会話を思い出す。
おしゃれなショップが軒を連ねるローカルタウンを訪れたある日、ラナンは私にこう尋ねた。
「今日のランチはどこにしようか?」
「どこでもいいですよ。ラナンに合わせます。」
「ーー本当に?キミの希望は何もないの?」
何か含んだような言い方とキラッと光るブルーの瞳に、ギクッとする。この老人はのんびり穏やかな雰囲気を漂わせているかと思いきや、突如こうやって鋭い視線を向けてくるのだ。
「え、いや、この街のことはラナンの方が詳しいだろうし、オススメのお店とかでいいですよ。」
「ーーふむ。もしオススメは特にないと言ったら?」
「え、なら……適当に歩いて目についたお店にするとか?」
「なるほど。そういえばキミはよく“どこでも良い”とか“何でも良い”って言うよね。それって口癖なのかな?」
「ーーえ??」
ぽかんとする私を置いて、ラナンはお気に入りだというオーガニックカフェにささっと入店していった。オススメあるんじゃん!と内心突っ込みつつ、胸にザワつきを覚える。
(私ってそんなにしょっちゅう何でもいいとか言っているっけ??)
「願いを叶えることが上手な人たちはね、自分の望みを決して妥協せず、抑え込まず、最大限に表現しているんだ。」
大好きなストロベリーたっぷりのグリーンサラダを嬉しそうに頬張りながら、ラナンはそう呟いた。
「どっちでもいい、何でもいいと言うクセは、キミの優しさからきているのかもしれない。けれどね、誰かの意思と同じくらい、キミ自身の思いにも価値があることを忘れてはならない。自分の望みにまず自分がYesと言って、表現してあげなければ、永遠にそれが叶うことはないんだよ。」
あまりにも的をえ過ぎていて、言葉につまる。確かにそうかもしれない。私は自分の意見を主張することがどうも苦手で、人や状況に合わせ、そつなく過ごすことばかり考えていた。人に譲ることは親切な行為として捉えられ、いい人に見てもらえるし、何よりラクだ。
でも時に、本当はあっちの方が良かったのにとか、なんでこんな事しているんだろ?と不満を抱えている自分にも気づく。でもそれさえも表現できず、気づけば我慢することや諦めることに慣れてしまっていた。
「望みを口にすることは、恥ずかしいことなんかじゃない。気持ちにフタをすることに慣れていると、どんどん自分の好き嫌いのコントラストがなくなって、何もかも曖昧になってしまうよ。曖昧な意識は、曖昧な出来事しかもたらさないんだ。」
「確かに私、自分の好きなことも嫌いなことも、あんまりないというか、、自分が何をしたいのかさえ、よく分からないかも。。え、やばくないですかこれ、どうしたらいいんでしょう?」
「ははは、そんな深刻になることはない。簡単なことさ。
何でもいいと言う代わりに、何を望んでいるのか、シンプルに、そして最大限に表現するクセをつけることだよ。」
ラナンのメタフィジックスゲーム3:
「今日はすべてのことを全力でお願いしてみよう。」
ルールは簡単。食べたいものは何かと聞かれたら、自分が1番食べたいものを言う。どこで会いたいか聞かれたら、自分が1番行きたい場所を言う。
自分の想いや意図に対して、一切妥協しないでください。
遠慮したりためらったり、恥じらって自分の中に抑え込んだりせず、
シンプルに最大限に表現してください。
「とても単純なゲームだけれど、初めはものすごくエネルギーを必要とするかもしれないね。でも積極的に取り組んでみてほしい。表現することに慣れるほどに、きっとそれまで経験したことのない変化が起こって、楽しくなってくるはずだよ。」
ラナンのその言葉の通り、ゲームに取り組み始めると私は(こんなこと言っちゃって本当に平気かな?)と、ドキドキな毎日を過ごすことになる。
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