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正月を家族で過ごすという儀式

いつも年末にバタバタするので、今年は1週間前から計画的にいろいろ振り返ろうと思っていたのに、気づけばもはや年が明けていた。

今年は4年ぶりに、実家での年越しである。例年、12月下旬に味噌作りがあり連休をもらうので、その代わりに年末年始は家族のある方へ休みを譲り、仕事に勤しんでいた。1泊2日で大晦日だけでも帰ろうかなどと考えた時もあったが、バタバタ帰るよりはと開き直り時期をずらして帰ることにしていた。とはいえ、独身同士ワイワイ騒いでいた仲間たちが、家庭ができるなどしてバラバラと離れていき、「一般的に家族と過ごすもの」である年越しは、ひとりものにとってはいささか居心地の悪い時期でもあった。

仕事があるから実家に帰れない。そうずっと思っていた。だから、カレンダー通りの仕事に転職し、4年ぶりに年末年始の長期休暇をもらえることがとても嬉しかった。実家で年末年始が過ごせる。久しぶりに、家族とともに大晦日の手巻き寿司を食べ、元旦の朝はおせちとお雑煮を食べ、祖父の墓参りに行ける。ずっとできなかったことができる。嬉しくて仕方がなかった。

しかし、いざ望んでいた年末年始実家で過ごしてみると、ああこんな感じだったなあという記憶がじわじわと蘇ってくる。一人暮らしの気ままさに比べると、実家で過ごす時間は実に制約だらけだ。正月のための買い出しに行く母に同行したら、足が速くてついていけない。最近手に入れたフィルムカメラを手に、新宿の町に溢れる人々や、デパ地下の食品売り場の熱気を撮ろうと構えていると「何撮ってんのよ」「どこ行ってるのよ」といちいちうるさい。友人と夜まで飲んでいると「何時に帰るつもり」とメールが来る。外に出かけようとすると、その服では寒いから上着を着ていけだのなんだの、とにかくうるさい。余白がないなあと思う。そして、そうだ、私はこの家で育ってきたのだ、と改めて思う。

鬱陶しいほどの愛は感じるが、ここにいつまでも居てはいけないと、家を出た。それでも足りずに、東京も離れてようやく、親の目の届かないところで私は自分の意志の元、自由に生きられている気がする。

正月休みも、私は自分の意志で自分の土地で過ごしていたのだ。仕事があったから帰れなかったのではない。そう実感した。

久しぶりの実家での正月は、4年の時を経て色々なことが変化していた。祖母の認知症が進み、移動は車いすになっていた。墓参りの後は初詣をし、どこかで外食するのが常だったが、その店も限られる。車いすでも都合が良いとららぽーとに行ったが、人がごった返していたので、車いす用のトイレだけ借りて祖母の排泄を済ませ、早々に撤退した。店では初売りのセールが開催されていて惹かれはしたが、私も兄も大人になっていて、自分の買物よりみんなで動くことの方が大切だと勿論思えた。人だらけのららぽーとで祖母の車いすを押しながら、「すごい人だね」と祖母の耳元に声をかける。それだけでも意味があったし、楽しい時間だった。

家族で過ごす正月というものは、ある種の儀式なのだと思った。普段会えない人が集まれることは尊い。しかし、別にずっと過ごさなくてもいいなあと思った。1泊2日…長くても2泊3日ぐらいがちょうどいい。家族ってなんなのだろう。改めて自分自身に問う。