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「最近仕事に遊びがなくてオモシロくないんです。」

「仕事の遊びって何? 仕事は仕事でしょ。」

会社のワーママ先輩とのやりとりだ。

「仕事の遊びって何?」と問われ、何と説明したらよいのか適当な言葉がその場で思い浮かばなかった。先輩の言葉は正論であり、中途半端な返しでは納得してもらえないと思い「そうですね。。。」と私は口を閉ざしてしまった。

14年間同じ会社で同じ仕事をしてきた。時代は変わり、働き方が変わった。私自身も結婚、出産して働ける時間が変わった。時短勤務の中で、MUST業務をマッハで捌いて走り続けていたら、面白かったはずの仕事が面白くなくなってきた。「お金のために働く」と割り切ることができれば強い。しかし、私は割り切れない人だ。


みなさんは毎日の仕事、面白いですか?



以前noteでキャンプでの気付きを書いた。私の人生には遊びが必要だということがわかった。


仕事にも遊びを求めるのは贅沢なのだろうか。仕事は仕事であることは確かだ。遊ばずに仕事しろよ〜との声も聞こえてきそうだが、思わず口にした言葉が自分の中で気になっていた。



仕事の遊びとは何か?

先輩との会話以来、ずっと気になっていた問いの答えが、昨日スーパーで買い物をしている時にふと降りてきた。忘れる前に言葉にしておきたい。

昨日は「夕飯に焼そばが食べたい」と家族からリクエストをもらっていた。いつもの焼そばの材料を買おうとスーパーで食材を物色する中で、ふと思った。

「いつもと同じ豚肉・キャベツじゃなくて、もっと美味しい具材はないか」

何だ?この感覚、楽しいじゃないか。

いつもなら、そんな余計なことを考える時間も余裕もない。いつもの焼そばの材料をパッパと買い込み帰宅して料理していたはずだ。いま、1ヶ月程の休みをもらっている私には、そんなことを考える余裕があった。

時間の余裕が思考の自由を許している。     脳が勝手に遊び始めている。          こんなことを考えていること自体が楽しい。

海老・イカを入れたら単なる海鮮焼そばだ、、コーンやチーズも美味しそう、、ソレお好み焼きやん!とツッコミを入れる。これまで食べたことのない「新しい焼そば」の具材はないかとスーパーを歩き回った。

「焼そばが食べたい」という家族のリクエストに答えながらも、新たな味を発見したい、体験したい、その試行をしてみたい。

この一連の思考・行動こそが、私が考える仕事の遊びだ。一見すると無駄なことのようにも考えられる。それが遊びだ。



仕事に遊びを取り入れるために必要なこと

・「仕事に遊びを取り入れる」の大前提として、依頼主との信頼関係が重要だ。依頼主は顧客であったり、上司であったり、会社であったり。依頼主からの信頼があるからこそ、がっつりマニュアル通りではなくオリジナリティを加えることができる。

時間の余裕が大事だ。空腹を訴える家族が目の前にいたら、新しい焼そばの具材なんて考えないだろう。スピード重視の仕事には遊びの要素が取り入れにくい。最低限の時間でMUSTの結果を出すことが求められるからだ。時間の余裕があると遊びの思考が動き出す。

・遊びの大前提として、MUST用件は満たさなければならない。そこを外すと、仕事放棄となってしまう。MUSTは焼そばか、それとも夕飯があれば焼そばじゃなくても許容されるのか。依頼主のニーズの見極めと、信頼関係次第だ。夕飯は必ず作る。その中で遊ぶのだ。


仕事の遊びがもたらすもの

・仕事の遊びによって、新しいサービスや製品が生み出される可能性がある。いつもとちょっと違うことにチャレンジする。失敗と成功は紙一重だ。

・仕事の遊びは、自己満足に終わる可能性もあれば、依頼主の期待を超えていく可能性もある。家族は焼そばを食べたいと言っただけ。主には自分自身が楽しめるかどうかだ。

・MUSTの仕事とは別に、自分自身が興味を持ってチャレンジしたいことに取り組むことができたら、それは、その遊び自体が新しい価値を持つ仕事になりうる。


仕事の遊びはイノベーションの種かもしれない

「家族のために、もっと美味しい焼そばの具材はないか」と考えることが、もう課題設定だ。そこからイノベーションの芽は膨らんでいく。ゼロから考えるなら、そもそも本当に家族は「焼そば」が食べたいのか?から考えても良いかもしれない。。

イノベーションとは、物事の「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。引用:ウィキペディア(Wikipedia)



仕事の遊びができるかどうかは受けて側の余裕も必要

この話しを機に、夫に「仕事の遊び」についてインタビューしてみた。

昔、食事を作ってくれる夫に対して私が放った言葉が心に残っていると言われた。「いろいろ手を加えなくていいから、レシピ通りに作って欲しい」と、14年前の私が夫に言ったそうだ。当時、深夜まで働き、クタクタになって帰宅していた私には、夫の料理の遊びを受け入れる余裕がなかった。スピードと量、重視だったのだろう。夫は料理を任されたからには、ただレシピを見て作るだけではおもしろくない。自分でアレコレ試して、美味しいご飯を作りたいとのモチベーションで取り組んでいたそうだ。何にでもバルサミコ酢を入れてみたい夫、時には革新的な料理が食卓に並ぶこともあった。

仕事の遊びは、仕事のモチベーションにも成りうる。

仕事の依頼主側に遊びを受け入れる余裕がなければ仕事の遊びは成り立たない。スピード重視、短期で結果を出して欲しいという場合、遊びはご法度なのかもしれない。


毎日の仕事の中に、遊びがあるといい

私にとって、仕事の遊びは仕事のやりがいでもあった。

入社して14年。ITによる仕組み化が進み、仕事の生産性はグングン上がっていった。月180時間勤務で生み出されていた仕事が、月150時間勤務でもやれるようになっていた。業務効率を上げるため、仕事で大切にしていたコトや、一緒に働く仲間と関わる時間も削ってしまった。悲しいかな、それでも成果は上がっていった。上司から効率良く成果を上げれることを評価されても喜びを感じなくなった。圧縮された業務を短時間で終わらせることに疲れていたのと、やれると尚良いがやらなくてもよい事を削りまくった末、たどり着いたスリムな仕事に面白みを感じなくなった。

「家庭と仕事の両立」という眩いばかりの王冠欲しさに、私はじぶんの中の仕事魂を売ってしまった。魂を失ったカラダだけが毎朝ノートパソコンを開き、高速でキーボードを打っていた。やがて、その仕事は私がやりたかった仕事ではなくなった。

仕事における私の介在価値が、私だから受け止められること提案できることから、短い時間でクレームなくいい感じに成果を出せること、に変わってしまったのだ。


もっと自分自身の介在価値を発揮したいが、それ自体を求められない仕事や環境、介在価値を感じにくい仕事や環境はある。その場合は、事業領域や商材、サービスを変えること、つまり転職を検討するのも一つの手段だ。

ただ、転職理由を伝えた時に、「それは今の仕事ではどーにもならないの?」と面接官に聞かれるだろう。

自分しだいで、今の仕事を面白くできる可能性があるのであれば、その行動を起こしてみてからでも遅くはない。自ら動かずにモヤモヤを抱えたまま、時を過ごすのはもったいない。きっと来年の今頃も同じことを考えているから。


「おもしろきこともなき世をおもしろく」   


仕事の中に、ほんの少しの遊びをとり入れる。

そう、じぶんに言い聞かせて、今日を生きる。


読んでいただきありがとうございました。













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