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78歳で嫁いだ、うちのばあちゃんの話。

昨日の西日本新聞のテーマ特集に「葬儀」にまつわる話が掲載されていた。自分で斎場を予約して亡くなった方や、故人のお通夜に、孫や子どもがたくさん集まり賑やかな時間を過ごせたことがよかったなど、いくつかの話が寄せられていた。

私は自分の祖母のことを思い出した。父の母。
大学で県外に出るまで暮らした実家は、父が育った田舎町の本家と言われるところで、祖父母も一緒に暮らしていた。三姉妹に両親、祖父母を合わせて、7人の大家族。家の中は賑やかった。じいちゃん、ばあちゃんと呼んでいた。

小学1年生の頃、じいちゃんが亡くなった。学校から帰っていると、近所のおじちゃんに「じいちゃんが死んだから早く帰って準備しなさい」と声をかけられたのを今でも覚えている。69歳、病気だった。
近所の川沿いに、毎年ばあちゃんとコスモスを植えて育てていたことから、その道はコスモスロードと呼ばれるようになった。街からも表彰されていた。お座敷にはじいちゃん、ばあちゃんがもらった賞状がいくつか飾ってあった。

じいちゃんは米を作る農家でもあり絵描きでもあった。庭の端にある農機具や車を入れる大きな倉庫の2階がじいちゃんのアトリエになっていた。子供の頃はのぞいてはいけない部屋のように感じていて、近づいたことがなかった。じいちゃんが亡くなってしばらく経って、それまで暮らしてきた実家を建てかることになった。家を建てかえる間、家族6人でじいちゃんのアトリエだった部屋に暮らすことになった。初めて入ったじいちゃんのアトリエは思っていたより普通の部屋だった。奥に長い空間、何畳くらいか表現できないが、子どもの私の目にはだいぶ広く感じた。2段ベットとテーブルとテレビを置いた。窓もある。階段を登って部屋に入るまでのオープンスペースに、父が簡易的なキッチンを作り、簡易的なトイレを作った。いつもとは違う環境での6人暮らしは楽しかったなあという記憶しかない。とはいえ、具体的なことは何も覚えていない。

じいちゃんの亡きあと、ばあちゃんは自分で商売を始めた。ばあちゃんの部屋には着物の生地がたくさんあった。着物の仕立ての仲介をやっていた。ばあちゃんはジュエリーも好きで、いつも指にはたくさんの宝石をつけていた。ばあちゃんに、赤はルビー、緑はエメラルド、青はサファイヤ……石を見ながら教えてもらった記憶がある。過疎が進む田舎町には、ばあちゃんみたいなばあちゃんは他にはいなかった。スーパーで買い物をしているばあちゃんは浮いていた。友だちにも「さおのばあちゃん、派手やけんすぐわかるね……」と言われて、恥ずかしかった。派手なばあちゃんの友だちも、派手だった。化粧品を扱う自営業の人や美容師、着物の仕事をしている人たちで、みんなきれいにお化粧していて、柔らかくツルツルした素材の服を着ていた。

大学進学のため家を出て、広島で4年間を過ごした私は福岡で働いた。
仕事を終えて家に帰り、夕飯を食べ終えた頃、スマホが鳴った。
母からだった。
「さおちゃん、ばあちゃんが嫁にいくとよ」
母は言った。
まず自分の耳を疑った。78歳のばあちゃんが嫁にいくという。
ばあちゃんって、うちのばあちゃんのこと?
ばあちゃん、年いくつ?
嫁にいくって結婚するの?
ばあちゃんは、相手のことを好きになったの?
これを書きながら自分の心の侘しさに気づく。78歳のばあちゃんが恋をしてはいけないのだろうか。高齢で結婚することがいけないのか。20代の頃の私は、随分と頭デッカチなやつだったんだと思う。

でも、当時は家族みんなが驚き、両親はばあちゃんの再婚を猛反対した。
どこのお墓に入るのか、将来二人で暮らせなくなった時にどうするのか、相手が先に亡くなった時にはばあちゃんは帰ってくるのか…いろんな話が湧き出てきた。籍を入れずに同棲だけしたらいいじゃないかという話も出た。
でも、二人は再婚した。

相手はちょっと年上で、大きな組織を定年退職して暮らしている人だった。
髪の毛はフサフサの白髪で、肌艶も良いおじいさん。

ばあちゃんは、いったいこの人とどこで出会ったのだろう。
母に尋ねると「老人会よ」と帰ってきた。じいちゃんが亡くなったあと、元々社交的だったばあちゃんは、さらに外に出かけるようになった。どうやらそこで出会ったらしい。出会った頃の詳細はわからないが、最初はみんなで集まり、その後、二人で会うようになっていたのだと思う。

そして、ばあちゃんは、嫁にいった。
相手の家で一緒に暮らし始めた。
私の結婚式にも新しいじいちゃんと一緒に参列してくれた。二人はいつもお洒落だった。腕を組んで仲良く歩いていた。ニコニコと笑う笑顔のばあちゃん、じいちゃんの顔しか覚えていない。

ばあちゃんは、私が幼い頃に実家で見ていたばあちゃんとは同じところもあり、違うところもあった。お洒落は好きで、いつもきれいにお化粧もしているばあちゃんだった。でもその時のばあちゃんよりも、新しいじいちゃんといるばあちゃんは、なんだか嬉しそうに見えて眩しかった。

ばあちゃんは92歳で亡くなった。
コロナもあり、ばあちゃんと会う機会はないままばあちゃんは亡くなった。
父に亡くなる前のばあちゃんの写真を見せてもらった。いつも紫や赤めに染めていたツヤツヤのばあちゃんの髪は、性別もわからないほど短くカットされていた。ちょっと悲しかった。でもばあちゃんの肌は白くてツヤツヤしているように見えた。

ばあちゃんの通夜や葬式は父の兄弟とじいちゃんとその子どもたちだけで小さく行われた。ばあちゃんに会うことがないまま、ばあちゃんは逝ってしまった。

ばあちゃんが最期の時、なにを思っていたのかはわからない。
実家に帰った時、母とばあちゃんの話になった。
「ばあちゃんは、いい人生だったと思うよ」
母がポツリと言った。
ばあちゃんはまだ10代のうちに一人目のじいちゃんのところへ嫁いできた。
今では信じられないけど、その頃の実家は大地主だったらしい。ばあちゃんは「なにもしなくていいからお嫁においで」と言われてきたという。父は乳母に育てられ、ばあちゃんに育てられた記憶がない…と言っている。
じいちゃんは、いろんな人に土地をあげてしまったので、実家に残るものはほとんどないそうだ。じいちゃんが早くに亡くなったあと、ばあちゃんは再婚して家を出た。

もし時間が巻き戻せるのなら、ばあちゃんにインタビューしたい。
ばあちゃんは、どんな人生を生きてきたのか。

新聞で葬式の話を読んだら思い出した、うちのばあちゃんの話。



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