毎日note「みんなの夢は叶うーーハンリーラ♪」

幼い頃に夢ってありましたか?

私はありました。
じいちゃんがくれた古い灰色のラジカセで、いつもラジオを聞いていました。どうしようもないくらいの田舎で暮らす私には、ラジオやテレビが外の世界を教えてくれる先生のようなものでした。7人家族にテレビが一台だったので、一軒家の居間にあるテレビは、家族みんなで揃って見ることが多かったです。私はよく、姉と二人で使う子ども部屋にこもり、ラジオを聞いていました。武田哲也さんや堀内孝雄さん、レベッカさんや庄野真代さん、昭和の歌手、当時の歌謡曲が大好きでした。ラジオから流れる曲をカセットテープに録音し、何度も巻き戻しをして、歌詞をノートにメモしていました。
耳で聞こえるままにノートに書き出した歌詞を見て、口ずさんでいました。実家に帰ると、私の学習机の引き出しにそのノートが残っています。当時、一番好きだった曲は、堀内孝雄さんが倉橋ルイ子さんとデュエットしている「ハンリーラ」という曲です。意味もわからず、ハンリーラ、ハンリーラと何度もノートに書いています。YouTubeで検索してみると、出てきました。
ぜひ、みなさん聞いてみてください。いま、聞いても癒されます。
小学生の頃の、昔住んでいた家、じいちゃんばあちゃんも生きていた頃を思い出します。築100年過ぎた、茅葺の大きな家でした。懐かしくて、涙出てそうで、鼻がツーンとしてきました。

音楽と思い出ってセットになっているのですね。
ハンリーラが流れてきたら、あの家をあの頃を思い出しました。

さっそく話が脱線したので話を戻します。
幼い頃の夢について。

田舎町に暮らしながら、幼心に夢を抱いていました。
単純ですが、その頃の私の楽しみであった、テレビやラジオの影響です。
情報に飢えていた小学生は、情報を伝える人になりたいと夢見ていました。
ニュースを読むアナウンサーになりたい、新聞記者になりたい、ラジオDJになりたい。そんなことを言っていました。カセットテープに曲としゃべりを録音してラジを作っていました。そんなごっこ遊びが楽しかったです。

幼い頃の夢は、中学、高校、大学とコマを進める頃には消えていました。
大して夢でもなかったのかもしれません。

高校時代に、受験校を選ぶときには、センター試験の物理と数学Ⅱの点数が悪過ぎたので、2次試験の科目が文系科目で受験できるところを探して受験校を決めました。当時、アナウンサー、新聞記者、ラジオが、、、そんなことは一切考えてもおらず、誰にも相談することもなく、学校の先生と話して決めました。家族で誰も大学には行っておらず、塾も行っておらず、誰かに相談するということが思い浮かびませんでした。ただ、周りの友達は皆大学に進むので一緒に受験勉強に取り組みました。いい加減な進路選択でしたが、結果、一生涯の友達にも出会えて、振り返ると布石になるような勉強もできて、楽しい大学生活を送ることができました。

就職活動を始めたころ、幼い頃の夢が再燃します。
夢に向かって何の努力も下調べもしていない人の、ポッと出の夢です。
ローカルのテレビ局を3社、ローカルの新聞社を2社、NHKに応募して、選考には進んだけれど、周囲の就活生と自分のギャップを大きく感じて、砕け散りました。
アナウンサーを目指すには、予備校のようなものがあるのだそうです。面接に来ていたのは、美人ばかりでした。現実路線で受けていた、お菓子メーカーや食品メーカーの選考会場では見たことのない、真っ白や、淡いブルー、イエローのスーツを見に纏い、長い髪をキレイに結いた人たちの中に、鈴丹で買ったグレーのリクルートスーツを着た自分がその場にいることが、とても恥ずかしくなりました。しかも、ただでさえ訛っているのに。アルバイトでは自動車ショーのコンパニオンをしている人や、制作会社でレポーターをしている人、ちょっとアナウンサーっぽいことやってるやんと思いました。私のバイトといえば、ビデオとCDも扱う書店の店員と、スーパーでココアを売るマネキンでした。今となってはいい思い出です。

新聞社もNHKも最終面接、2次面接まで進むことができました。こちらはアナウンサーとはまた違ったので、なんとか頑張ることができました。
でも、やっぱりダメでした。スカッと気持ちを切り替えて、初任給が高い製薬会社に就職を決めました。M Rは医薬情報担当者の略で、情報を扱う仕事でした。

26歳で転職して、転職エージェントのキャリアアドバイザーになりました。この仕事も、企業や個人の方に情報提供を行い採用やキャリアを支援する仕事でした。

会社を辞めて、アウトドアメディアのライティングの仕事を始めました。
未経験で応募してチャンスをいただいた仕事です。取材したり、経験したことを文章にして、メディアに掲載してもらう。
幼い頃に思い描いていた、夢が叶っています。

そういえば、大学時代の卒論で、国鉄を退職し広島の田舎町で天然酵母のパン屋を始めたご家族を取材し、「田舎暮らしへの憧れと現実」というテーマで書きました。これも今私がやっていること、やりたいことの布石となっていたのだと思います。当時はなんでもやっていいよ、というゆるい先生のゼミを選んで、通い詰めていたパン屋さんに取材を申し込みました。

今こうして、noteで文章を書くことも、stand.fmで声の配信をすることも、
幼い頃の夢が、カタチを変えて叶っています。

職業というカタチじゃなくても、今、チャレンジの道が開かれている時代なんですね。相変わらず気づくのが遅いですが、せっかく門戸が開いているので飛び出してみたいと思います。

connecting the dots というスティーブ・ジョブズの言葉が好きです。

深く考えずに行き当たりばったりに歩んできた道も、
振り返れば、それがあっての今なのです。

そして、夢って職業じゃなくてもっと広くていいんだとおもいます。
人を応援する、人を元気にする、人の生きるを支える、日本を、世界を元気にする、とか。
そう考えると、みんなの夢が叶うのかもしれません。

バクっと話が広がったところで終わりにします。



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