娘と「好きなもの3択クイズ」をしたら、私も麦茶が好きだったことを思い出した。
週末、キャンプに向かう車中でゲームをした。そこで事件は起きた。
パパさん、わたし、6歳娘の3人が順番に、自分の好きなものを3択にしてクイズを出す。
娘:「わたしが好きなミスドのドーナツは?」
「チュロス、ポンデリング、オールドファッション。どれでしょう?」
わたし:「どこ行ってもチュロス食べてるからな〜、チュロス!」
娘:「ポンデリングです!」嬉しそうにこたえる娘。
へー。だいぶ前に、お土産ドーナツのチュロス争奪戦を娘と繰り広げた日から、てっきり娘はチュロスが好きなんだと思い込んでいた。お土産は、いつもチュロスになっていた。まさか、チュロスよりも、ポンデリングが好きだったとは。
パパ:「パパが好きな色は何色でしょう?」「緑、赤、黒」
娘:「パパはいつも緑の服着てるからな〜。緑!」
娘と顔を見合わせ、「パパ、わかりやすいね〜。(ニヤニヤ)」
娘:「わたしが好きな飲み物はなんでしょう?」
「水、麦茶、ジュース」
私もパパさんも二人声を合わせて「水!」とこたえた。
娘はいつも水を飲んでいる。家でも、外出先でも、水筒の中身も「水」だ。
大人二人は、自信満々にそう答えた。
娘:「ブー、答えは麦茶でした。」
わたし:「えー!でも、いつも水飲んでるのに?」
娘:「本当は麦茶が好きなんだけど、ママが麦茶作ってくれないから、いつも水飲んでるんだよ。」
ハッ?! なんてこったい。
娘のその一言で、「娘は水が好き」という幻想を作り出してきた自分の行動が蘇ってきた。
「娘は水が好き、水しか飲まない」
そう自分に言い聞かせていたのはわたしだった。そして、娘が水しか飲まない環境を作ってきたのも、わたし。
家の中から、”麦茶”という選択肢をなくしてしまっていた。
”ウォーターワールド誕生秘話”
時はさかのぼる。5年前、娘が1歳くらい。
会社の先輩ママとの会話の中で助言をもらった。
「子どもの飲みもの何にしてる?お茶とかじゃなくて水がいいよ。服や家具にこぼしても、色がつかないからね。片づけラクよ〜。」
それイイネ!と思ったわたしは、その日から水筒の中身を麦茶から水に変えた。
ご飯やオヤツの飲みものも、麦茶から水に変えた。
外出先で飲みものを買う時も、水を買うようにした。
いつもストックしていた伊藤園の健康ミネラルむぎ茶パックはお役ごめんとなった。代わりに、水道水を浄水できるというコスモウォーターなるものを設置した。家で麦茶を作らなくなってからは、茶渋がたまる麦茶ポットを洗うこともなくなり、微かに楽になった。
こうして我家は”ウォーターワールド”となった。
幼くして麦茶という選択肢を断たれた娘は、麦茶を知らないまま大きくなった。
わたしは、自らの意思で家から麦茶を無くしたことも忘れて、飲み物といへば「水」と我が子にも自分にも言い聞かせて、時を過ごしてきた。
ところが、娘は外の世界で麦茶を飲んでいた。
わたしが知らないところで麦茶の味に魅了されていた。
保育園では麦茶が飲めるそうだ。
ごはんやオヤツの時間に麦茶が出るという。
そんなことも知らなかった。まさか、たくさんの子どもお世話で大変なはずの保育園が、水ではなく麦茶を出してくれているとは。
「麦茶って、おいし〜んだよね。」
3択クイズで、親二人が大きくハズして悔しがる姿を見ながら、
娘が放つ言葉が胸に刺さった。
「なんで麦茶つくってて言わなかったの?」
娘に聞いた。すると衝撃的な返事がかえってきた。
「言ったよ。麦茶飲みたいって。でもママつくってくれなかったよ。」
よくよく思い返すと、その昔、娘に言われたような気もする。そして、”うんうん”と聞き流した気もする。水ルーティンを変えたくなくて、耳を塞いだのだろう。それから、娘はわたしに「麦茶つくって」と言わなくなったのだ。わたしは、じぶんに都合の悪いことは忘れて、”娘は水ばかり飲む=娘は水が好き”そう思い込んで生きてきた。
そういへば、わたし、幼い頃から麦茶が好きだった。小学校の文集でも、社会人になっても、好きな飲みものは”麦茶と珈琲”と書いていた。あの芳ばしい味と香りが好きだった。
夏になると、キンキンに冷えた麦茶と氷をグラスに注ぎ、何杯もおかわりしてゴックンゴックン飲みほしていた。懐かしい記憶が蘇る。
ワンオペ育児の真っ只中、1ミリでもラクしたい気持ちが、わたしの日常から麦茶を消し去っていた。
麦茶をつくらないという習慣を身につけたわたしは、そこから変化することを無意識に拒んでいた。
わたしの人生に麦茶を取り戻そう。
娘の人生に麦茶のイロドリを添えよう。
きっと人生が少しだけ豊かになるだろう。
知らぬ間に、相手に対して決めつけてしまっていることはないだろうか。
子どもが何かを選ぶとき、選択肢、選ぶ環境を作っているのは大人なんだ。
小さいうちは、育つ家庭にないものからは選ぶことができない。
しかし、子どもの成長に伴い、子どもの生活圏は家から外へと広がっていく。
家庭にはない物、人、事象にも触れ、知識や経験の幅は広がっていく。
わたしの目の前にいる娘は、
もう家庭の中にあるものだけから選んでいる”小さな子ども”ではないのだ。
外の広い世界とつながり、たくさんの選択肢から選びとっていくことができる。
ありがたいことだし、そうあって欲しい。
でも、外の世界に羽ばたいていく子どものことを、せめて”知っていたい”。
好きなモノやコトを決めつけずに、”聞く耳”を持ちたい。
今回の麦茶事件での気づきを大切にしたい。
いつも大事なことを教えてくれる娘よ、ありがとう。これからは、家で一緒に麦茶を飲もうね。