見出し画像

葛藤。

辞書で引くと、普通に「いがみ合う」や「いずれを採るか迷う」といった意味の他に以下のような仏語としての意味もあります。

仏語。正道を妨げる煩悩のたとえ。禅宗では、文字言語にとらわれた説明意味の解きがたい語句公案、あるいは問答工夫などの意にも用いる。

goo 辞書「葛藤」より

植物にも実際「つづらふじ」(葛藤)ってあるんですね。つづらふじ科の落葉つる草。暖地に生じ、雌雄異株。つるは非常に強く、籠(かご)などを編む。根は薬用。つづら。(Googleより)と、ありました。

何がいいたいか?じつは今日は少々葛藤してるからです。

以前、このnoteで「ヒトは言葉で悩む。」という記事を上げました。

あらためて読んでみて、これはやはり自分に言い聞かせた記事だと確信しております。同じように感じる人が居られるかどうかは知りませんが、それは同感というか心理学でいうところの「バーナム効果」かもしれません。

それはともかく、今日の葛藤は、言葉(文字言語)にとらわれた説明になります。毎日、言葉でこのnoteに記事を上げているわけです。言葉の恐怖を感じています。だれがどう読みどう感じるかまで承知できるはずもありませんが、文責というものは現実にあります。

昨日の「結跏趺坐」の記事についても、最後に「こだわる必要は全くありません」と断じておきましたが、どこか結跏趺坐の方が優れているといったニュアンスに受け取られかねません。決して本意ではありません。

わたしにとっての「ある重要な決断」について内心いささか悩んでおります。ここで吐露するわけには参りませんが、人に相談するまでもないことですが、善い悪いではなく、好き嫌いでもなく、自分がどうしたいか、いずれを歩むべきかの岐路であります。

言葉にすれば、他愛もないことです。

岐路の内なる決断。

葛藤とはこういう心の状態を申すのでありましょう。

一言書道は、

葛藤(水)

ご覧いただき感謝申し上げます。
念水庵
https://nensuian.com/

「望郷」古代の中国僧?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?