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勘違いが生む芸術|ジョージとマルクスの創造論

ビートルズのギタリストであるジョージハリスンはソロ作品も豊富で、多くの名盤を世に出しています。

個人的にお気に入りの作品は1987年に発売された『Cloud Nine』というアルバムです。

全体的にシンプルな演奏がされており、爽やかなジョージの歌声がよく耳に残ります。

『Cloud Nine』の収録曲に"Fish on the Sand"という曲があり、この曲が気に入ったため何度も聞いていたところ、頭から離れなくなってしまった時期がありました。

よく聞いていたのは学生の頃で、当時は英語力もあまりなく、演奏や雰囲気だけで曲を勝手に解釈していました。「Fish」 が曲名に入っているから、食事の風景でも書かれているのかな、くらいの気持ちで深く調べずに聞いていたのです。

そして、この曲を大人になってから聞き直す機会がありました。

その頃にはある程度の英語力も身に付き、インターネットも普及したことから歌詞の和訳を調べることも容易となり、ようやく本来の歌詞の意味を知ることとなります。下記がその歌詞の一部です。

You know I love you.
You know I need you.
If I'm not with you.
If I'm not so much of a man I'm a fish on the sand. 

George Harrison, "Fish on the Sand", アルバム: Cloud Nine, [1987年].

ざっくりと日本語にすると「もし君がいなければ、僕は一人前の男どころか、まるで砂浜にあがった魚みたいだ」といったところでしょうか。

僕が若いころによく考えずに聞いていた「fish」はひとつの言い回しであり、この曲は爽やかな食卓を描いていたわけではなく、「君がいなければ僕は何もできない」というメッセージが込められたラブソングだったのです。

この様に、クリエイターが意図して提供してくれた価値も、聞き手が理解していなければ正しく受け取ることができないのです。リスナーとして少し反省する気持ちを抱きました。

しかし、この様な現象は楽曲制作を労働と捉えれば、経済学で説明ができます。そして、必ずしもリスナーが楽曲の価値を正しく理解する必要がないこともわかります。


労働の対象化

カール・マルクスが提唱している「労働の対象化」という概念があります。

マルクスは、労働者が創り出す製品やサービスが、彼らの手を離れ、独立した「物」として市場に向かう過程を「労働の対象化」と呼びました。

製品は作り手の個人的な特性や創造過程を離れ、市場で単なる商品として取り扱われるようになります。

例えば、家具職人が心を込めて家具を作る場合、彼の技術、時間、情熱がその家具に反映されています。しかし、一旦市場に出れば、その家具はただの商品となり、職人の個人的な物語や労働の価値はしばしば見過ごされます。

そして消費者は、家具の機能性やデザインに基づいて商品選択を行い、職人の元々の意図とは異なる方法で家具を利用することがあります。

これが「労働の対象化」の一例です。

誤訳も勘違いも価値のうち

同じように、ミュージシャンが心を込めて制作した楽曲も、市場に出ると、消費者であるリスナーによって自由な解釈で楽しまれることが一般的です。

楽曲はその制作者の個人的な創造物から一歩離れ、リスナーの個人的な経験や感情、文化的背景に基づいた多様な解釈の対象になります。

ジョージハリスンの"Fish on the Sand"も、ジョージのもとを離れたこの曲が市場にリリースされ、時代と国の異なる若者に勘違いされたまま楽しまれていたのです。

本をよく読む人や音楽ファンの人は、作品に対して正しい理解をしようと真摯に向き合うことが多いかと思います。

家具とは異なって、製作者の意図が作品に直接反映されるものなので、読者もリスナーもより熱心な傾向にあります。より良い読者となるため、より良いリスナーとなるため、いつも熱を込めて作品の理解に努めているのです。

しかし、こういった市場の原則を少し意識することで、そこまで力を入れて作品理解に勤しむ必要はないとも考えられます。

作品は保存されているため基本的な変化はなく存在しているのみですが、消費者である私たちは人間として年々成長しながら価値観も変わり続けています。

これからはもう少し肩の力を抜いて作品を楽しもうと思います。"Fish on the Sand"の正しい作品理解には、長年を要してしまいましたが、ジョージハリスンはきっと多めに見てくれるでしょう。

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