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労働力を再生産されるサウナと入院

この前、名古屋にあるカプセルホテル付のサウナに行ったところ、本当に大勢の人がサウナで汗を流してくつろいでいました。

週末の仕事終わりに行ったからか、僕と同じように多くの人が仕事で疲れた体を癒しに来たのだと思います。

名古屋にあるサウナは物凄く大きい施設で、サウナ好きから聖地と呼ばれる場所もあるようです。確かにあの規模のサウナはあまり見かけません。

そのくらい大規模のサウナで仕事の疲れを癒している大勢のおじさんたちを見ていると「みんな疲れてんだなぁ」と感慨にふけります。

一方で、どうしても経済学的な視点でものを見てしまう癖があり、サウナで整っていく大勢のおじさん達を、マルクス経済学でいう「労働力の再生産」のレンズで見てしまいます。

「労働力の再生産」というのは、労働者に休憩や休日を与えることで、再び労働ができる状態に回復させることを指します。

この回復は食事や睡眠だけでなく、レジャーに行ってリフレッシュすることも含まれます。もっと広義には、労働者が結婚して出産をし、子供が生まれて育つことで、更にもう一人労働者が増えることも指しています。

そう、人は働かされるために休まされているという、何とも非情な考え方なのです。

この「労働力の再生産」のレンズを通して、サウナで整っていく大勢のおじさん達を見ると、まるでベルトコンベヤーで生産されている商品のように、次々とおじさん達が労働力として再生産されているように見えてきます。

働くことが人生における最優先課題なのか、と思ってしまう瞬間です。

僕はこの考え方を、かつて個人で感じていたことがあります。それは、20代の時に胃がんによって手術・入院をし、その後の社会復帰を果たした時のことです。

社会復帰したての時は、20代中頃で、IT企業で働いていたので非常に忙しくハードな現場でした。年代も若いことから体力的な負担が多くとも音を上げるわけにはいきません。

このハードワークが続いて身体も心もしんどくなった時に、ふと「俺は何のために闘病を頑張ったんだ」と思ってしまいました。まるで、働かされるために手術や治療をしたのではないかと。

その答えが、経済学的には「労働力の再生産」のためなのです。これはあまりにも辛い事実でした。

もちろん、僕の主治医も「労働力の再生産」のために僕の手術をしたわけではないでしょうし、僕自身も働くために治療をしたつもりはありません。

だけど、事実として、回復したあとに働きまくっている。やはりマルクスが言ったことは正しかったのかもしれない。

とはいえ、この事実があったからと言って、世の中や人生に幻滅するわけではありません。事実は事実として認識し、そのうえで自分はどう生きるか、それを考える必要があります。

しかし、なかなか考えがまとまりません。

「俺は労働力の再生産ではなく、純粋に整いたくてサウナに来てるんだ」と言って事実に抗っても苦しいし「今日も労働力を再生産させて、明日も価値ある労働を社会に届けるんだ」と言うのも無理があります。

「人生は難しいものだな」と整っていくおじさん達を眺めながら思った週末でした。

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