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食べてみる勇気|臭豆腐とバロットとイカの塩辛

海外旅行をよくしていた時は、現地で食されている食べ物を積極的に口にしていました。

しかし、どうしても「これは無理だ」となってしまうものがあり、食文化の違いを超えることができなかったケースも多くあります。

例えば、台湾の街中で見かけた「臭豆腐」(発酵臭が著しく強い豆腐)や、フィリピンの「バロット」(孵化直前のアヒルの卵を加熱したゆで卵)は食べる勇気が出ませんでした。

「臭豆腐」は「臭」と正面から書かれている字面のインパクトにたじろいでしまい、バロットは孵化直前であるその見た目によって食欲が失われてしまったのです。

日本人の感覚からすると「こんなものよく食べられるな」と思ってしまうのですが、実際に長く食べられているものなのだから、おそらくそれらは美味しいはずなのです。

こういった珍味に対しては特に「初めて食べた人の勇気が凄い」と称賛の気持ちを抱いてしまいます。

実際にどの様なストーリーがあるのかはわかりませんが、昔の乏しい食糧事情を鑑みると、おそらく身の回りで手に入るものの中から食料となり得るものに狙いを定め、勇気を出して食べて確かめていったのではないかと想像します。

追いつめられると人の発想力と勇気は格段に増大するものです。

そして、その後は調理法の改善などを続け、周囲の人にも伝えて伝搬させていくことで、だんだんと現地の食文化として浸透していくのはないでしょうか。

これはビジネスや科学の歴史と同じで、既存の固定概念を崩しながら新しいものを創造していくという、人類が積み重ねてきた偉業の蓄積のうえに成り立っているように思います。

先人たちの創造力と勇気のおかげで、今では本当に様々な食事を食べることができるようになっています。

また、海外の例を出しましたが、反対に海外の人から見ると日本人も相当な偏食をしているように見えているはずです。私たちにとっては当たり前の珍味がたくさんあります。

例えばイカの塩辛は訪日外国人にあまり理解されないようです。イカの胴とワタに塩を加えて熟成させたものですが、お酒を飲む日本人にとってはもはや定番になっています。

その他の代表格と言えば、梅干しと納豆でしょう。確かに日本人でも苦手な人がいるくらいなので、癖のある食べ物ではあるのですが、私たちにとって日常的な食べ物です。

しかし、臭豆腐やバロットと同様に、イカの塩辛を発明した人や初めて食べた人の心境を想像すると、どの様な背景があったのか不思議に思います。イカを焼いたり干したり、刺身で食べるのだったら思いつきそうですが、胴とワタを塩漬けにして熟成させるのは、どういうビジョンを持っていたのか僕には想像することができません。納豆も梅干しも同様です。

私たち日本人の先祖たちも、乏しい食料事情から、保存方法も含めて様々な食材に果敢にチャレンジしていったのだと思います。

僕はその昔、胃の手術をしたことで食べられるものが極端に制限されたことがありました。そういった経験を持つ身としては、いろいろな食事を経験できることは幸せな限りだといつも思います。

物に溢れた現代の社会については、どうかと思うこともよくありますが、こういった地域独特の珍味も存在する豊富な食文化に関しては、悪くはない時代なのかなとしみじみ思います。


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