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心を落ち着かせる雑務

技術の発展によって人間の仕事のうち、肉体労働や単純作業が機械によって代替されていくというのは、現代資本主義社会の避けられない潮流ですが、それでもまだまだ肉体労働や単純作業を行っている人が一定数いることも事実です。

そして面白いことに、そんな単純作業を好む人間が未だに多くいるのです。

若い頃に書店でアルバイトをしていた頃、コミックにシュリンクというビニールの包装をかける作業がありました。

この作業は大量のコミックをシュリンク専用の機械にセットしてスイッチを押し、シュリンクがされて出てきたコミックをまとめて担当者に渡すという、実に機械的な単純作業でした。

この退屈に思えるシュリンク作業ですが、案外、多くのスタッフから人気がある作業だったのです。

「たまには頭を使わない仕事がしたい」「作業量が目に見えるので確実に達成感が得られる」など、様々な理由がありましたが、僕自身もその気持ちは何となく理解することができるものでした。

単純作業というのは、普段頭を使って仕事をして疲弊している人間の心と頭を落ち着かせてくれる効用があるように思います。

日本の大御所作家である筒井康隆氏が、かつて原稿の締切日を前に編集者からホテルに缶詰めになって執筆を終わらせるよう迫られていた時に、編集者が様子を見に行ったところ、筒井氏は「風呂掃除をしていた」というエピソードを聞いたことがあります。

作家という極めてクリエイティブな仕事を締切日までに終わらせなければいけない、切迫感のある環境において、風呂掃除という単純作業は、ギリギリの状態に追い込まれていた筒井氏の脳と心にとって一時的な退避場所になっていたのだと思います。

僕の同僚も仕事の責任に重圧を感じて悩んでしまっていた時期に、自宅でキムチを漬けはじめたそうです。白菜の一枚一枚の間に唐辛子を塗っていく行為が精神に落ち着きをもたらしてくれると言っていました。

僕も忙しい仕事を終えて帰った後に、大きな寸胴にたっぷりのお湯を入れてパスタを茹でている瞬間にやすらぎを感じることがあります。ぐつぐつと沸き立つお湯と揺れ動く麺を眺めていると何とも言えない落ち着きを得られるのです。

これからもどんどんテクノロジーが発展し、単純作業は駆逐されていくかと思いますが、人間にとってそれらは心を落ち着かせる作業でもあるので、ほんの少しでいいから我々にも残しておいて欲しいと願っています。

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