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偶然の出会いを求める合理主義者

普段からできる限り合理的な判断をしながら暮らしていきたいと考えています。

家賃を低く抑えつつ節約生活によって確保した種銭は、インデックスファンドに毎月定額で投資しして、長期的なリターンを見込みます。仕事でもデジタルを駆使して人間の感情を排したデータを読み取り、作業にも優先順位をつけて効率よく取り組んでいるつもりです。

私生活でもバイアスに満ちた情報はしっかりと遮断し、訪問詐欺やネット上のターゲティング広告からはうまく逃れて生活ができています。これも合理的な判断ができているからだと自認しています。

しかし、そんな自分でも「不合理だなぁ」と思う側面がいくつかあります。合理的であることが正義であると思いながらも、不合理なことを求める人間性を兼ね備えているようなのです。

その典型例が紙の本による読書であり、本を買うにも概ね書店まで行って購入するという、アナログな読書習慣を辞めることができていません。合理主義的な判断をすれば、電子書籍による読書に切り替えるはずですが、これが一向にできないのです。

おかげで自宅では、紙の本が本棚を埋め尽くしてしまっています。合理的に考えればこの様な本棚は形成されないはずです。

なぜ紙の本にこだわるのかと言うと、理由はたくさんあれど、書店に行って本を買うことが好きなのだと思っています。わざわざ書店に行くことに、しっかりと価値を感じているのです。

たくさんの蔵書のなかから自分が興味を持つ本を探しているうちに、探しているものとは別の本に興味が移ろうことが多くあります。

そして何気なくその本を手に取って、あらすじや冒頭の数ページを読んでみることで、実際にそのまま購入してしまうことがよくあります。その衝動買いが正解だったことは非常に多く、こういった成功体験がデジタル隆盛の時代にわざわざ書店まで足を運んでいる理由のひとつなのだと思います。

こういった本との「偶然の出会い」は、今のところネット書籍のレコメンデーションが再現できていないもので、書店に足を運んで蔵書に囲まれる環境に身を置くことでしか、演出されないように思っています。だから紙の本を手放すことができていないのです。

「偶然の出会い」だからこそ、その本に愛着が湧く側面もあるので、また今日も書店に足を運ぶ日々が続きます。

しかし、よくよく考えてみると、自分が「偶然の出会い」を求める特性があることを理解したうえで、あえて電子書籍を利用せずに書店に足を運んでいるのなら、それはそれで合理的な判断をしているのだと気づきました。

僕が電子書籍を利用しないのは、「「偶然の出会い」に強い価値を感じているが、電子書籍からはその価値を得ることができない」という極めて合理的な判断によるものだったようです。

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