胃カメラに学ぶ生きる意味|死ぬほど嫌でも3度飲む
23歳のある日、僕は人生で初めて胃カメラ検査を受けることになりました。
苦しいとは聞いていたものの、まさかあんなに辛いものだとは思っておらず、検査が終わってからもしばらく放心状態になったほどです。
その時に実はこんなことを本気で考えていました。
そのくらい苦しい検査だったということです。二度とやりたくないと強く思いました。
ところが、その後の経験が僕の考えを一変させ、自分の中に潜む「死にたくない」という、強い欲求に気付かせてくれます。
この記事では、不思議な経緯で死生観が変わった経験をお話しします。
なぜ若くして胃カメラを飲んだのか
冒頭で書いた通り、23歳の頃に胃カメラ検査を受けることになったのですが、それはもともと身体に異変があったからです。
食事が喉をうまく通らずに詰まっているような違和感があったので、その原因を調べるべく地元のクリニックに行ったことがきっかけです。
違和感の原因を調べるような軽い気持ちだったのですが、医師の指示で当日にいきなり胃カメラを飲むこととなり、冒頭で書いた通り悶絶してしまいます。
この時に「もう一度胃カメラをやらなきゃいけないようなら俺は死ぬ」という気持ちを抱きます。
そしてその日は週明けに市立病院に行くよう紹介状を書かれて終わり、翌週に市立病院であらためて検査をして診断を受けることになります。
ここで発覚したのが「胃がん」であるという事実でした。
23歳の若さでがん告知をされてしまったのです。治療には胃の全摘出手術が必要になるようです。
そしてこの時にがん専門の病院への転院を提案されました。
もちろん市立病院での手術でも良いが、がん専門の病院であらためて検査をしてしっかり手術することも検討した方が良いそうです。
この時に僕の頭をよぎったのは「また胃カメラやらなきゃいけないのか…」ということです。
現在はどうなのか知りませんが、当時は転院をする場合、転院先の病院でももう一度検査をする必要があったのです。
胃カメラをしなくて済む方法で治療を選んでしまおうか、そんなことさえ考えていたことをよく覚えています。
胃カメラを飲むことが死ぬほど嫌だったので、これは当然の考えなのです。
人生の岐路に立つ|胃カメラ飲むのか、それとも死ぬのか
身体の中にがんを宿していることを知ると、がんが身体の中を巡って全身に転移していく様子を想像してしまうようになりました。
そのため、病院選びの判断基準を「いち早く手術ができる病院」に定めて情報収集を始めることにします。
その結果、市立病院で提案されていたがん専門の病院が最も早く手術ができるとわかりました。
転院をする場合、転院先の病院でももう一度検査をする必要があるので、それはつまり、もう一度あの苦しい胃カメラ検査をしなければならないことを意味します。
喉を通る胃カメラのあの感覚が蘇ってきて、思い出すだけでも嗚咽がしそうになってきます。
ここで「もう一度胃カメラをやらなきゃいけないようなら俺は死ぬ」と、初めて胃カメラの検査をした日に感じたことを思い出します。
最も避けて通りたい状況が目前に現れてきたわけです。年齢は23歳とまだ若い僕は人生の岐路に立たされていました。
自己矛盾から生まれた当たり前の本音
結局、僕は素直に胃カメラ検査を受け入れてがん専門の病院で手術を受けることを選びました。
その病院では胃カメラ検査をする際に鎮静剤の利用が推奨されていたので、鎮静剤を利用することで眠った様な状態のまま胃カメラを経験しました。
この方法では苦痛もなく気づいたら終わっていたような感覚で検査を終えることができ、ほっと息をなでおろしたことを今でも強く覚えています。
そして、この検査を終えた時に自分の中の矛盾に気づくこととなりました。
初めて胃カメラを飲んで死ぬほど嫌だと感じていた時から、今回で合計3度も胃カメラを飲んでいることになります。
「もう一度胃カメラをやらなきゃいけないようなら俺は死ぬ」と思っていたにも関わらず、死ぬほど嫌がっていた胃カメラをあっさり受け入れて、3度目の検査すら終えていた自分の矛盾した行動に気づいたのです。
つまり、何だかんだ大げさなことを言いながらも、自分は「死にたくない」という気持ちが最も強いのだと気づくことになります。
「死にたくない」つまり、これからも生きていたい。どんなにしんどい人生が待っていようと生きていたいんだと気づいたのです。
こうして手術を目前にしていた時期に、僕の死生観はガラッと変わり、非常に前向きなものとなりました。
万全な状態で手術を受けて、その後の闘病やリハビリも絶対に乗り越えようと思うようになり、全てのことに積極的に取り組むようになったのです。
胃カメラに学ぶ本当の自分の価値観
手術は医療者のおかげもあり、無事に成功しました。
その後は胃全摘の後遺症や再発への不安に悩んだりもしましたが、10年以上経過した今は、元気に社会に出て生活をしています。
困難な状況からこうして社会復帰できたのも、あの時に前向きな死生観を見つけることができたおかげだと思っています。
「胃カメラをやりたくない」けれど「死にたくない」という、人生の岐路の様な決断をしなければならない状況において、自分の最も素直な気持ちがその後の行動に自然と現れたのだと思います。「死にたくない」が何よりも素直な気持ちだったのです。
自分の中に確かな価値観があると、人生の様々な状況において迷いがなくなり、より良い生き方を選ぶことができます。
多くの人が自己啓発や自分探しに時間を割いているかもしれませんが、自分の中の本当の価値観というのは、思った以上に身近なところにあるのかもしれません。
僕は自分の価値観を胃カメラにより学びましたが、みなさんはいかがでしょうか。
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