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【370球目】責任感

責任感って何でしょうね。

役割を全うしようとする気持ち。
周りを想いやる気持ち。
成果を出す為にやりきるという気持ち。
目標に向かって思考と行動を継続していくこと。
約束を守ること。

などなど、様々な具体的なことが挙がってきますが、全ては思考と行動から来るものです。今日は責任感について書いていきますね。

社長だから

世の中の社長はみんな責任感があるのか?

こんな問いがあれば、私はNOと答えます。責任感の無い経営者は実際にいます。それをこの目で見てきました。自分のことしか考えない、自分の役割を全うしない、約束を守らない経営者は確実に存在します。責任感って役職が付くと醸成されるものでもあるのですが、それは人によりますね。私の場合はこうでした。

中学校2年生

何回もこの話をしています。

責任感という話になると、私はこの時点を思い出します。ある時、突然、お前が明日からキャプテンな。もう約30年前の話ですよ。そんな前の話ですが、その時の風景、感情は鮮明に記憶に刻まれています。大きな重圧に潰されそうになりながら、家までの坂道を登って帰宅したこともよく覚えています。キャプテンってなんかカッコいいよね、そんな想いが1ミリも湧かなかったこともよく覚えています。あの時に初めて、自分自身に責任感が芽生えたのかもしれません。その重圧に潰されてはいませんが、ドーンと大きな重圧ではありました。次の日学校に行くと、少し風景が違う訳です。部活が始まると、もっと風景が違いました。気づけば、大声で怒鳴っていました。

やらなあかん!

強烈にそう考えたんですね。とても良い経験でしたし、野球に感謝するという気持ちはこういう所からも生まれています。しかし、私の何を見てくれてその指名になったんでしょうね。一度聞いてみたい気がします。

祖父ゆずり?

三陽工業の初代社長は父親です。

事業を始めたのは祖父です。祖父はTHE・創業者みたいな人でした。仕事に対しての責任感は凄かったと思います。仕事が趣味の様な感じですよね。亡くなる寸前まで自宅で出来る仕事をしていましたからね。仕事は趣味は私も同じです。ただ、私の場合は娯楽と言っていますが。

仕事は娯楽

最近言ってなかった気がします。コロナ禍において、その余裕が無かったのかもしれませんね。久しぶりに使いました。父親も責任感はありますね。元々経営者タイプではないと自負していましたから、だからこそ、経営者とは、という責任感は強かった気がします。私は意識せずともそう考えることが出来ているのは、隔世遺伝なのか、学生時代の経験が良かったのか分かりませんが、ありがたい話です。

三陽工業の社長として

今、三陽工業の社長として、どんな責任を感じているのか。

シンプルに表現するならば、この会社に入って良かったと思ってもらいたい。それは社員本人もそうですが、その家族についても、そう思ってもらいたい。まだまだ、今出来ているとは思っていません。そこを目指す為に、試行錯誤の段階です。何ならずっと試行錯誤しているかもしれません。ゴールはないと思うので。試行錯誤を続けていくと、必ず今より良くなっていきます。シンカです。そのシンカを継続していく。そして、もっと強くて優しい会社になっていく。

そうすることによって、例えば、給与のベースも上がるでしょう。昇給や賞与、福利厚生のレベルも上がっていきます。いま出来る限りのことをやっています。そして、会社の成長に合わせて様々な部分がシンカをしていきます。今までシンカして来た様に、これからもシンカをしていきます。

この会社に入って良かった。

そう思ってもらうことができれば、きっとその人の人生は豊かになっているはずです。人生において仕事が占める割合は寝る時間と同等かそれ以上に多いですからね。そうなるときっと、その人は元気なはずです。その人が元気であれば、その部署も拠点も現場も元気になります。そして、日本の製造現場を元気にするということに繋がっていきます。しっかりと責任を果たします。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!