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【603球目】5年前

5年前、どこで何をしていたか、鮮明に記憶にあるでしょうか。
最近と言えば最近ですよね。今日は5年前を振り返ろうと思います。



たまたま

先日仕事中に5年前の組織図をたまたま見る機会がありました。
それを見て驚きました。まあ、驚くことではないのですが、5年前の組織図は今と比較するとあまりにも未熟だったので驚いたのです。

5年前なので2018年
2018年6月1日にサンテックをM&Aしました。三陽工業のM&A第1号の会社です。その時のサンテックと今のサンテック。まるで別の会社の様になっています。5年あれば全く違う形になるのですね。それを痛感しています。

明石の魚住町にあるサンテック



第39期

5年前は第39期です。私はこの期から社長になっています。
ということは、社長になってまだ5年なんですね。思考としては、リーマンショック以降はそのつもりでやっていましたので社長になっても何かが大きく変わった訳ではありませんが、1つの節目がこの第39期、今から5年前です。


原型

この39期には今の組織の原型となるものができています。
まだ経営管理部という名前はありませんが、総務とは別に財務部が出来たのも5年前です。情シスの原型も5年前に出来ています。人材戦略部・事業戦略部はまだこの時点では出来ていません。ブランド戦略室も存在していなくて、広報は私の直轄で採用グループはHR事業部の中に存在をしていました。

わずか5年前のことですが、改めて見直すとこの5年間のシンカは凄まじいものがあります。速く行きたければ1人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け。どこかの国の諺ですが、遠くへ行きたいからみんなで行こうと進んで来た5年間だということを改めて感じることが出来ました。


30代・40代

私は現在45才です。
2008年のリーマンショックの時は31才でした。そこから100メートル走を全力疾走で走るかの如く駆け抜けた30代です。多くの失敗をしました。全てが経験になっています。

そして40才の時に社長に就任をさせて頂きました。そこからさらに加速をしようと準備しながら進んでいた所にやって来たのがコロナ禍です。コロナ禍は私にとって、ちょっと待ちなさい、このまま突っ走ってはいけないよ、と言ってくれた様なものです。

コロナ禍の約2年間は色々なことがありました。
これもまた全て経験になっています。自身の思考も柔軟になった気がします。それまでの思考を否定する訳ではありませんが、本当に良い経験をさせてもらったコロナ禍でした。

ピンチはチャンス


これから5年

5年経てば私は50才になっています。
自分が50才というのが少し信じられませんが、時間は万人に平等です。必ず50才がやって来ます。

20代の時にカッコいい30才になりたいと思っていました。30才の時には40才のイメージをしていませんでした。そんな余裕がない毎日をリーマンショックのお陰で過ごすことが出来ました。そして、40才の時はそこからさらに右肩上がりのイメージをしていました。そこにコロナがやってきて立ち止まりました。何なら後退したかもしれません。しかしながら、それが良かった。今ではそう思っています。

どんな50才になるのか。ここからの5年がとても楽しみです。


最後に

遠くへ行きたければみんなで行け。
この言葉がとても胸に刺さっています。この10年間で多くの仲間とご縁がありました。残念ながらそのご縁が途中で途絶えてしまった人もいます。ただ、全てが必要なご縁だったと確信をしています。点が重なって線になっていく様に、その時のご縁があったからこそまた新しいご縁を頂くことができる。1つだけ確信していることがあります。

私は運が良い。

数多くの貴重なご縁をありがとうございます。そして、貴重なご縁を大切にしながら、また新しいご縁に巡り会えることを楽しみにしています。

遠くへ行きたければみんなで行け。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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