【156球目】156
156球目と書いた時に、昔にあった子会社アイコムを思い出しました。
三陽工業の車のナンバーが・340であったように、アイコムの車のナンバーも・156でしたね。
せっかくなので、今日はアイコムの話を少し詳しくしましょうか。
アイコムはなぜできたのか
軽くはこのnoteでも書いたことがありますが、アイコムが出来たのはリーマンショックの2年後です。
リーマンショックになり、三陽工業の売上高は7億1800万円まで落ちました。
しかもその売上の約9割近くがモノづくりでの売上です。
今でいうGT製造部ですね。HR事業部の売上はほとんどなかった。
そんな中で、覚悟を決めて走り始めます。
その時に出来たのがアイコムという会社です。
三陽工業にHR事業の売上がほとんどなかったので、製造と派遣の会社を分けるイメージでこのアイコムは誕生しました。
三陽工業=製造
アイコム=派遣
のイメージですね。
本社は明石市の大明石町。
1階が喫茶店の雑居ビルの2階に本社を置きました。
三陽工業で業務をしてアイコムの事務所に行く。
そんな動きがしばらく続きました。
アイコム=愛を込める
そんな意味を持っていました。
アイコムスタート
アイコム設立時、お客様は0です。
本当に何もない所からのスタートになりました。
何もないので、営業社員が2名でひたすら新規営業です。
当然、私も動きます。社員が10名の所に1名派遣したこともありましたし、契約にはなかったのに2週間くらいの早期退社のお金を払わない会社もありましたね。今となっては昔話、良い思い出です。
アイコム明石の最大の在籍数は約80名ほどです。
全く何もない所からそれくらいまでいきました。その頃になると、お客様から「三陽工業では取引できないの?」という声が増えてきます。
と同時に、岐阜県各務原市にある川崎重工岐阜工場からお声をかけて頂きます。
明石エリアでは、アイコムの在籍数が減っていき、三陽工業の在籍数が増加していきました。
岐阜ではアイコムしかありませんでしたので、アイコム岐阜営業所としての数字がドンドン伸びていきました。
アイコム岐阜の最大在籍は約120名くらいです。
もちろん、全くの0からのスタートでした。
アイコムとして請負職場を持っていた時期もありました。
全然利益がでない状態でしたが。。。。。
最終的には撤退です。これまた良い学びになりました。
アイコム岐阜営業所も最終的には三陽工業岐阜営業所になり、現在に至ります。
試行錯誤
よく試行錯誤という言葉を使います。
アイコムを創った時は、「三陽工業で製造を」「アイコムで派遣を」と考えていました。しかしながら、お客様の生の声を聴きながら、三陽工業で製造と派遣をやることに軌道修正をしていきます。
その軌道修正があったからこそ、生産推進グループというグループが誕生しました。
製造と派遣を完全に分けていたら、もちろん今はありません。
もっと言うと、リーマンショックの後にアイコムという会社を創ってHR事業を伸ばそうと思っていなければ、今はないかもしれません。
アイコムという会社を知っている社員も減りました。
アイコムが三陽工業HR事業の原点であることは事実としてあります。
あの時、試行錯誤しながらガムシャラに前へ進もうとしていたからこその今だと思います。
三陽工業は現在42期です。
三陽工業31期の時にアイコムは1期でした。
もしアイコムがあれば、現在12期です。
今から10年後に今を振り返ってみると、きっと試行錯誤でガムシャラに動いているように見えるのでしょう。
真面目に一生懸命働く人が報われる世界を創る。
その為に三陽工業は日本の製造現場を元気にしていきます。
働く人を元気にして、その人たちの人生を豊かにしていきます。
今から10年後、振り返るのが楽しみです。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!