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【358球目】仕事を辞める

仕事を辞める、そんな場合もあると思います。今日は仕事を辞めるということについて、私が今までどう感じてきたのかを書いていきますね。

仕事を辞めるという経験

私はこの三陽工業が3社目になります。ということは2回、仕事を辞めるという経験をしている訳ですが、その2回ともに、自分の中では任期満了の様な気持ちで辞めています。

最初の会社は3年と決めていました

そう、三陽工業に戻るつもりでしたので、3年と決めていたのです。2つ目の会社は、同業他社ですが、これも2年と決めていました。この2つの会社を辞める時に、考えたことがあります。三陽工業に戻るという予定がなければ、このまま続けているだろうな。何かが嫌で辞めた訳ではありません。次のステップへ進むための予定通りの退職です。ですが、そこでやっていた仕事は面白かった。だからこそ、そんな思考になったのだと思います。もちろん、人間ですからその3年間や2年間にしんどい事や辛い事はありました。逃げたくなることもありました。

そこへ向かっていくことが成長に繋がるということも学びましたし、数字の厳しさも学びました。大企業なのに風通しが良かったり、そうでないのに複雑だったりと、色んな学びがありました。本当にありがたい経験です。

辞めたいと考えたこと

3年、2年という決まった期間に辞めたいと考えたことは、実はありません。

もちろん、次のステップが見えている、目標があるというのも大きいとは思いますが、辛いことこそ、自分の身になる、学びになる、良い経験になると考えていましたから、気分が落ち込むことはあっても辞めたいと考えたことはありません。

私がこう考えるから、事業承継者はみんなそういう思考になるのかと思っていましたが、事業承継者の中でも途中で辞めてしまう人の話を聞いた時には驚きと共に、多様な人たちがいるという気づきと、みんなが自分と同じではないということを学ばせてもらいました。

感情としては色々とあります。

期間が決まっているからそれまではやりきろう、そんな想いは当然ありますが、事業承継者が途中で仕事を辞めて、どの面下げて三陽工業に入社が出来るのだろうか、この気持ちは強かったですね。

あと、単純にカッコ悪いよなと。

事業承継者は今でこそ厳しい状況や環境下にあるので大変ですが、20年も前だと、色眼鏡で見られることが当たり前だったと感じています。社長の息子、それだけで、マイナスからのスタートですから、この会社員時代に、いかにして学びを重ねるか、自分のプラスの部分を身に着けて会社に戻れるか、そんな気持ちでいました。

結局

色々と想いを書き綴ってみましたが、社会人最初の3年間、その後の2年間、22才から29才というとても若い時代に、めちゃめちゃ深く考えていたかと言うとそうでもありません。

目の前のことを必死にやる。

競争相手がいれば負けたくない。

数字のプレッシャーは、やりきって跳ね返したい。

自分の給与を上げたい。

部下が出来れば、部下を成長させたい。

いま考えると、1つ1つの考えは浅かったと思いますが、必死にはやっていましたね。自分の限界を常に出しながらやっていたので、修行の様なものです。しかし、その修業があったからこその今ですし、経営者としてはとても貴重な時間だったと考えています。

次のステップへ

退職してより自分の成長が見込めるならそれは良しですよね。転職も容易にしやすいこの時代ですから、ドンドンそれでステップアップは良いと思います。ただ、なんとなく辞める、不満があるから辞める、それはとても勿体ない。ある人に言われたことがあります。

それはね、井上さんだからそういう風に考えることが出来て、みんながそう考えることができるんではないんだよ。

とても納得して、腹落ちした意見です。その通りです。人は人の数だけ考え方がありますから、私の考えが全てではなく、多様な考え方があって当たり前です。その上で、その人の人生が豊かになる為にはどうすればいいのか、その導きも必要ですし、その為に、三陽工業という会社は存在しています。三陽工業とは別の場所で自分の力で豊かになれる人はそれで良いと思います。ただ、そんなに強い人ばかりではありません。人が人に寄り添い、様々な助けをしてくれる、そんな会社だからこそ、その可能性が開花し、人生を豊かにしている仲間が三陽工業にはいます。

そんな仲間を1人でも多く増やしていきたい。それが私の本音です。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!