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【340球目】さん・よー

340球目になります。

3・・・さん
4・・・よー

です。

三陽工業が成長し始めた時、車のナンバーを全て・340にしました。車の見分けつきませんwwなのでそれはやめました。今日は記念すべき340球目です。今日は深く考えずに想いを書いていきますね。

三陽工業とは

元々の三陽工業は明石に本社があり、Kawasakiのオートバイの仕事をメインにする、そんな会社でした。

売上高0から始まり約12億円で安定的に推移したものがリーマンショックで壊れていくのですが、12億円時代に私は入社をしています。前職派遣会社だったので、三陽工業に入った時に印象深かったのは工場の存在です。今で言うと、工場とロジスティックスセンターなのですが、当時はもっともっと小規模でした。小規模ではありましたが、自分たちの工場があることをとても誇らしく感じたものです。派遣事業を最適化させるために、自社工場を最大限使っていました。川重明石工場で要員が必要になるタイミングは突然です。

その依頼を聞いてからでは時間がかかりすぎます。

なので、依頼のタイミングは無視して、採用をかけていました。採用後はまずは自社工場での勤務。これを待機と呼んでいました。なぜ待機なのか?川重明石工場へいく事に対しての待機です。自社工場で待機してもらって、依頼がかかるとすぐさま川重明石工場へ。そんな流れを作っていました。自社工場があるからこそできることです。

そのうち、自社工場で必要人員が発生します。その際には、川重明石工場で働いてくれている人の中から、責任感があり、品質や納期、工場運営を任すことができる可能性をある人を選んで自社工場に行ってもらっていました。時には、自社工場から新たな派遣の現場へと変更になる場合もありました。今の高砂事業所はその流れで出来た職場です。リーマンショック時には、自社工場や自社職場が大きな受け皿になりました。30期の718百万の売上のほとんどがものづくりによる売上です。

ものづくりとHR事業は一体です。

今は大きくなって各々に担当者や責任者はいますが、一体です。そして、その本質は、そこで働く人の人生を豊かにしていくことです。私の責任範囲は過去の仕事、現在の仕事、未来の仕事、会社における全ての仕事がその範囲になります。当時も同じです。その中で未来を見据えて、この人の人生を最大限豊かにしたいと考えていると、自ずと次のステップへの思考と行動が出てきます。

待機もそんな想いから生まれてきました。

今のGT製造部の拠点長は川重明石工場で派遣という形で働いていた人が数多くいます。そこから、本人の努力と適切な現場配置により、今の成長した形となっています。動きたくないという人も中にはいましたが、きっと今の拠点長以上に人生が豊かになっている人はいないのではないでしょうか。

そんな気がしています。

製造業と製造派遣業

文字にすると似ています。

2つの事業ともに、お客様は製造業になります。広義で考えると製造領域になりますので混同しがちです。しかしながら、この2つの事業は似て非なるものです。だからこそ、大手製造派遣会社はこの似てそうな2つの事業をやっている所はほとんどありません。(ゼロとは言えませんが)製造派遣、技術者派遣、事務派遣、職業紹介、この辺は網羅していますが、製造業やっている所はほとんどありません。三陽工業はこの2つの事業を昔からやっているために、製造業の常識で製造派遣業に取り組んでいます。

製造業の常識とは何か?

1人1人の社員の技術の軸、心の軸を伸ばす、そういった思考と行動を持ちながら、本人に寄り添って、その成長を促進していくことです。一般的な製造派遣業においては、そこまでやらないことを私たちはやっています。コストと工数をかけていますので、非効率に見えるかもしれません。単年で見ると数字は下がるので非効率です。しかしながら、数年先の未来、もっと先の未来を考えた時には、まだまだこれでも足りていません。

その人の人生を豊かにしていく為には、もっと強くなる必要があります。

三陽工業は日本の製造現場を元気にする会社です。その為に、そこで働く人達に元気になってもらい、そこで働く人達の人生を豊かにしたいと本気で考えています。これからも、シンカを継続していきます。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!