【202球目】転勤
全国に拠点のある会社は転勤がつきものですね。
特に、金融機関のみなさんは必ず定期的な転勤がありますから、何年かに1回は支店長や担当の方が変更になります。
今日は転勤について、エピソードを交えて書いていきます。
佐賀→佐世保
新卒で入った会社では関西希望を出していましたが、佐賀支店配属でした。
まあ、その時点で4年間住んでいましたから全く嫌ではなかったですね。
2年目か3年目かに転勤のお話がありました。
転勤と言っても隣の県の佐世保市です。
そこにある佐世保営業所に行ってくれないかというお話でした。
その時の私の答えはNo。
そして、その後に続けた言葉が、
私がいなくなったら佐賀支店の数字は誰が創るんですか?
佐賀支店の数字はこれからも私が引っ張っていきます!
25才か26才の時です。
本当にそう思っていました。
理由はこれだけではありませんが、これが最も相手に響くと思ったので、こうお伝えさせて頂きました。
この翌月は特にプレッシャーでしたね。
こんなこと言って数字を上げなければ口だけの人になってしまいます。
いつも数字、成果にはこだわっていましたが、特にこのタイミングでは必死でした。
そう考えて必死に行動していると成果は上がります。
今思うと正しい行動が取れていたのですね。
住み慣れた場所から離れるのは抵抗があるのが一般的ですが、そもそも神戸から佐賀に行った時点で、違う場所で住むことの良さは感じていましたので、その後、名古屋に住もうが山梨に住もうが、全く抵抗はありませんでした。
仮にカンボジアに住むことになっても、きっと楽しいだろうなと思えるのは外にでる経験をしたからだと思います。
そういう意味では、佐賀へ行ったことは私にとって大きな大きな財産になっています。
三陽工業の転勤
三陽工業では転勤があります。
そして、その転勤のほとんどがその人にとってはステップアップになります。
主任が転勤して所長や所長代理になったり、生産推進グループの一般社員が新しい職場の立上メンバーだったりと、ステップアップを伴う転勤の場合が多いです。
そうなりますよね。
三陽工業は仲間を増やして拡大しようとしている訳ですから、新しい拠点長は既存の拠点から行くことがほとんどです。
すると、転勤が発生します。
住む環境が変化しながら、新しい場所で新しい仕事は大変なことも多いですが、転勤して異動になった人の多くがやはり成長してくれています。
まだまだ成長段階の初期です。柔軟な対応はとてもありがたい。
もし、これを見ている転勤を伴って今の勤務地にいる社員に対しては心からありがとうと言いたいですね。
転勤して・・・
転勤して、その先の場所に住み着くこともあります。
住めば都とよく言いますが、水が合う、波長が合う場所だとそこを離れたくないというのはとても理解ができます。
福岡に転勤になると戻りたくない、色んな業界で聞く言葉です。
私が知っている人も、そういう人が何人かいます。
色んな魅力があるんでしょうね。
仕事でもプライベートでも色んな場所へ行って感じること。
その土地、その土地で文化があり特徴があり、空気がある。
同じ1秒、1分、1時間、1日ではあるのに、時間の過ぎ方が違うのではないかという錯覚に陥ることがあります。
北海道、青森、秋田、福島はまだ行ったことがないので分かりませんが、東京には東京の良さが、大阪には大阪の良さが、福岡には福岡の良さがそれぞれありますし、佐賀や愛媛や島根といった場所もそれぞれの良さがあります。
佐賀に住んでいたので、地方へ行けば行くほど愛着が湧きやすい傾向にあるのかもしれません。
豊田へ
2021年の10月から愛知県豊田市にある豊田営業所で全社的なプロジェクトが始まりました。
そして、年明けにはそれがさらに加速していく予定です。
ここでも、期間限定の人も含めて多くの人が自分の住み慣れた場所から愛知県へ移動し仕事に取り組んでいたり、これから取り組もうとしてくれています。
三陽工業はまだまだ発展途上です。
1人の成長が会社の成長に直結をします。
1人の勇気や行動が会社の成長に直結をします。
1人のプラスのストロークが会社全体をプラスの方向へと導きます。
三陽工業のこれからの未来の為に、今日もまたシンカしていきます。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!