【ショートショート】願いを紡ぐ
オオイヌノフグリの小さな青い花に染まった道を、妻と5歳になった息子とともに歩く。
目的は誰も住んでいない私の実家――掃除をするために、1年ぶりに戻ってきたのだ。
鍵を開けて玄関の引戸を開けると、暗闇が自分達を出迎えた。
線香の匂いがジメジメと漂う。
機械が動く音もなにもしない、シーンとしている空間。
――あの頃とはえらい違った雰囲気だな。
「とりあえずブレーカーを入れてこよっか。」
自分の背なかの方から妻が言うと、怖がる息子の手を引っ張りながら暗闇の中に消えていった。
お化けなんて信じる歳ではないだろうが、気負わずに暗闇へ飛び込める妻に感心する。
――自分も行くか。
母の一回忌で家族や親戚がこの家に集まることとなっていた。
10歳ほど離れた兄は、帰省するのに半日以上を費やしてしまうほど遠くに住んでいるので、準備できる者は次男の自分しかいない。
週末の掃除の手伝いを頼んだとき、「まぁ、仕方がないか」と快諾してくれた妻に感謝の気持ちでいっぱいになる。
玄関から見て右側にある仏間に入って、記憶を辿りに窓の方に進み、カーテンに手を伸ばす。
カーテンを開けた先にみる光景は1年前と変わらない。
水すら貯められていない小さな庭園が目の前に広がり、木漏れ日が暗闇で満たされていた仏間の畳に落ちる。
微かに遠くから車の通りすぎる音が聞こえてくる気がした。
雑踏の中を過ごす日々――昔を思い出しつつ、「たまにはこういう空間も良いな」と感傷に浸る。
自分の身長より高い引戸の窓を開けてみると、突風が部屋に吹き込み、後ろからパタンパタンと何かを揺す。
音を視線でなぞると、そこには一羽の立派なツルが描かれた掛け軸があった。
――ツル、か。
◆
中学生だった兄の帰りはいつも遅かったので、平日の昼間は母親といつも二人。
「ゲームは買わない」という方針だったようで、外で遊ぶことが多かった。
思い出したその日は生憎の雨。
そのとき母親が持ってきたのが「折り紙」だった。
母は一枚の紙から、様々な作品が生み出していく。
馬、カエル、ゾウ、カニ――。
一方で、自分はなかなかうまく折ることができない。
折り紙に対して興味を失いつつあった自分に対して、「折り紙の中でもツルは特別かな。」とつぶやいてツルを自分に渡した。
「前、鹿児島のおばあちゃんのところに遊びに行ったときに沢山ツルいたでしょ?」
コクりと頷いてから自分は言った。
「カァーカァーって鳴いてた。カラスより高い声で!」
「そうそう、天にまで届くあの声。ツルの鳴き声が天にいる神様と人をつないでくれるって昔の人は思っていたの。」
一息ついて、話を続ける。
「鶴の声が、神様からのメッセージのように聞こえたのかもね。だから、『ツルを折れば願いが叶うんだ』って言われるようになったの。」
と母は自分に微笑んだ。
◆
このあと、「願いが叶う」という言葉につられて再び折る事に没頭したのを覚えている。
――そういえば、あのとき「何を願ったか」を聞かれたっけな。
「パパ!」
遠くから息子がドタバタと足音を立ててやってきた。
「さっきね、ママと行った部屋で見つけた!」
そう言いながら自分の元にやってきて、「遊ぼう」とせがんでくる。
さっきはあんなに怖がっていたのに――と苦笑しながら息子の方に振り向く。
視線の先に映る息子の姿と手に持っている折り紙――偶然って意外とあるものだな、と自分は思う。
「パパね、今から掃除しないといけないんだ。せっかく折り紙みつけたんだ。それでツルでも作ってみな。」
といって、ポケットからスマホの検索画面を開きながらこう続ける。
「ツルを折れば願いが叶うんだよ。」
◆
木漏れ日が落ちていた仏間も徐々に薄暗くなってきた。
「こっちの部屋は片付いたわよ。」という妻の声がふすまの外から聞こえてきた。
「こっちも終わったし、そろそろ退散かな。」と自分も向こうにいるであろう妻に返答する。
息子は「ママ、ツルにねがいごとしてきたよ!」と、折り紙で作ったツルを妻へ見せに行く。
「わぁ、上手くできたじゃない! ゆー君は何を願ったの?」と妻の問いに対して、息子は「ヒミツ!」と一言返すだけだった。
――いやはや、自分と同じことを言うとは。
願いなんて、照れくさくて言えるもんじゃないもんな。
今は昔ほど折り鶴を見ることはなくなったけど、こうやってずっと残っていくものなのだろう。
今も昔もツルを折る、それぞれの願いをのせて――。
(了)
【同時投稿記事】
最後までご覧いただきましてありがとうございます! これからも「読んでよかった」と思ってもらえるような記事を書けるように努めて参ります。