見出し画像

父の葬式




父が死んだ。病床に伏して長かった。小さかった頃、家族親戚と行った海水浴で、遠くまで流されてしまったことがあった。父が気づいて助けてくれたが、波間での怯えた様子を皆の前で笑うので恥ずかしかった。その古い記憶を通夜で話すと、誰も覚えていない。だが、私ははっきりと、父の泳いでくる姿、波打つ海面、光、すべて覚えている。記憶違いじゃないかと訝る皆の顔を眺めながら、あの時に私は死んだのだろうかと軽口が出かかった。硬くなった父の体に白装束を着せるのに手間取った。殊に足袋が難しかった。草木深く、土の匂いの濃密な故郷が嫌いなのは三十を過ぎても変わらず、葬儀が終わってすぐ東京へ戻った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?