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村上春樹とロバートアダムス、旅に出ないための


15、6のある時期、旅に憑かれていた。
半端な労働で得たなけなしの金で気の向く土地へ彷徨った。
自分探しではなく、単に自分の生活が不愉快で、絶えず「ここではないどこか」へ足が急ぐに過ぎなかった。
自分は何者かといった類の懊悩に捕らえられるほど繊細な感受性は持ち合わせていなかったし、また自我が揺らぐような経験の寡ない安らかで貧しい日々を過ごしていた。

広島から帰る鈍行列車で、私は村上春樹の風の歌を聞けを読んでいた。
その頃は本を読み始めたばかりだった。
それも「ここではないどこか」への欲望だった。見知らぬ土地へ行くように、新鮮な夢想を求めた。
読書の習慣が全くなく、周囲に本を読む人間もいなかったから、とにかく名前だけはどこかで聞いたことのある作家の、最初の作品を手に取ってみたのだ。
馴れぬ目で旅中に少しずつ読み進めながら、私はそこに書きつけられた乾いた退屈に、いつのまにか救われていた。
実のところ旅によって満たされることは一度もなかった。どこへ行こうとも「どこか」はない。それがどこであっても、そこには「私」が付き纏うからだ。
旅への倦怠に、風の歌はこの上なく清潔に響いた。私は家の最寄駅に着いた時には、もう二度と旅は必要ないだろうと確信していた。退屈を引き受けることだ、砂漠に寝転がり、乾き切って、肌をひび割れさせ、願わくば「私」を風の流れへ消し去ることだ、砂粒になってしまうのだ、と私は明るいむなしさで胸が弾んだ。

先日ある写真集を眺めていて、以上の記憶が蘇った。それから、谷崎潤一郎、川端康成に溺れ、その他いくらかのものを読んで今では春樹は好きな作家の一人には数えないが、懐かしくはある。
写真集の名は『To Make It Home』、日本語ならば、それを故郷とせよ、だろうか。
ロバートアダムスの傑作である。


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