マガジンのカバー画像

断片の小説

57
運営しているクリエイター

#短文

なんと言ったのか

泣き始めると止まらないようだった。言葉をかけると切り出した別れさえ曖昧になってしまいそう…

最後の旅行

離婚する前に最後の旅行をした。離島に一週間あそんだ。憎しみはないけれど終わりはくる。ある…

父の葬式

父が死んだ。病床に伏して長かった。小さかった頃、家族親戚と行った海水浴で、遠くまで流され…

祖父の耳

認知症で入院している祖父の萎れた耳にイヤホンをつける。馴染んだであろう古い曲を聞くと脳に…

遺書を拾う

手紙を拾った。ポストの傍だから、郵便局員が落としたのかもしれない。白い封筒。つい開いた。…

恋人たちの写真

パソコンが故障して、数年分の写真データが消えた。撮ってきたのは恋人たちだけだった。いずれ…

ロビーから

部屋の電話が鳴った。ロビーからだった。チェックインを対応した女の声。山下さまからお電話が入っております。お繋ぎいたしますか。電話の予定も、山下という知り合いもない。そう言うとやや沈黙があって、女が息をのみ、部屋番号を間違えておりました、大変申し訳ございません、と謝罪する。構いませんと答える。受話器を置く。ベッドに横になる。電話の前となにも変わっていない部屋が、深い静謐の底に沈んでいるように感じられる。誰かの電話を、待つ心地になっている。            222 cha

死刑囚の絵

娘の爪を切る。ちいさな掌。左の小指を深く切り過ぎた。血が流れる。娘が泣く。泣くに任せた。…

別れ話

別れが縺れた。君の家に行く、夫と子どもにすべてを話し裁いてもらおうと彼は言った。投げやり…

花を供える

夕飯の支度の最中に、今日が4月17日だと気付いた。数年前に堕ろした子の命日。毎年必ず部屋の…

腹の傷

随分と痩せたと言うと、少し前に手術をしたからと彼女は答えた。子宮にメロンほどの腫瘍があっ…

少女とショッピングモール

近所の小さなショッピングモールが取り壊されるかもしれないと聞き、6年と11ヶ月ぶりに家の外…

遺影にする

これからパネルに使う写真を撮る、自らを値踏みの視線に投げ出す、それなのに彼女はあっけらか…

無言電話

無言電話がかかってくる。非通知の時もあれば、前とは違う番号を使っていたりもする。同じ人の気配。数秒だけ、相手は無言で、わたしもなにも言わない。そして向こうが切る。シャワーが故障して、冷たい水しか出なくなった日にも、無言電話はあった。電話がもう切れるという時、どこかでお会いしましたか、と聞いた。いいえ、と低い声が返ってきた。それから、電話がくるとつい同じ問いを発してしまい、習慣になった。どこかでお会いしましたか。いいえ。壊れたシャワーは、面倒でそのままにしてしまっている。