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星の光は遠く【SF短編小説】

ーあらすじー
この小さな星の上で、宇宙船に給油をし続けてもう何年たったのだろう。いろいろなことがあったが、それも、今日で最後だ。
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 給油を終えた最後の客が飛び立つ。エンジンのノズルから吹き出す炎で、この小惑星の表面に浮かぶ砂塵が舞い上がる。炭化水素系の推進剤に特有の青い炎の輝きは、はじめ目もくらむほどの明るさだったが、高度が上がるにつれて段々と小さくなり、澄んだ暗闇に浮かぶ星々の光と見分けがつかなくなったのちに、ついには見えなくなった。
 昔は、もっと長い時間、客を見送ることができたし、もっと星は多かった。私の視力もだいぶ衰えてしまった。この仕事をはじめて何十年たったのだろうか。
 それも、今日でおしまいだ。先ほどの給油が最後の仕事で、これから店をたたむ。これからはもう客が来ることはない。ただし、店じまいをするのは私だけではない。この小惑星の地平線の少し上に、ひときわ大きく青く輝く星、地球でも、その表面の上で無数の店主が店の片付けをしているのだろう。

 酸素、水素、過酸化水素、メタン、ケロシン、アンモニア、ヒドラジン。推進剤たちのディスペンサーやタンクから漏れがないか、ひとつひとつ確認しながらそれらを雑巾で拭き上げる。それぞれの残りは、いや、これはもう確認する必要がなかった。
 少し離れたところでは、ガスという名の1台のロボットが、下半身につけた6つのタイヤで走り回り2本の腕を振り回して、発着場の掃除や私の小型宇宙船と宇宙スクーターの整備を行っている。これらもやらせる必要はなかったな。無線で彼を呼び寄せ、仕事を切り上げさせる。
 事務所を兼ねた自宅に2人で戻ると、いつものようにグラスを2つ出して、それぞれに酒を注ぐ。ガスは飲まないが、いつからかガスの分の酒も注ぐのが習慣になった。ガスはいつも何も言わずに、双眼鏡のような大きな2つの目で私が飲むのを見ている。そもそもこいつはしゃべれない。
 こうやって飲むのも最後なので、俺の燃料はこれだぜ、という宇宙船乗りで使い古された冗談をつぶやいた。この何百回も聞いたフレーズも、聞かなくなってもう何年、何十年たっただろうか。

  #

 このひと周りするのに宇宙スクーターで1日しかかからない小さな惑星の上で、宇宙船の推進剤補給業、つまりはガソリンスタンドのようなものの仕事に就いたのは、私が20代の頃だった。
 そのころは、月や火星、衛星軌道上の拠点への物資の輸送が活発になり、様々な企業のロゴマークをつけた輸送船が宇宙を行き来しはじめていた時代だった。そういった船や、また道楽のための宇宙旅行便や、一部の大金持ちの個人用の宇宙船が発する光が、宇宙の闇を縦横に軌跡を描いていた。
 
 宇宙を駆ける船乗りになる、それが私の夢見たものだった。
 人々の活動の舞台が地球から離れつつあり、それにつれて地球上での仕事が日に日に減っていく中、多くの若者がそのような考えを持つのは、ありがちな短慮ではあるが自然なことであり、私もその愚かな若者のひとりだった。
 しかしその当時、宇宙船乗りとなるのは、大変な金や幸運や苦労が要るものだった。極めて高度化、細分化された学問を修めるには、長い就学期間とこれに伴う莫大な学費が必要で、さらに職を得るために求められる資格を得るのにもまた、途方もない金がかかるのだった。つまりは、若くして宇宙に出ることができる者は、ごく一部の幸運な家庭に生まれた者だった。

 私は生まれにそういった家庭を選べなかったので、まずは仕事に就いて金を貯めたのちに宇宙船操縦の資格を得るという、これもまた多くの若者が安易にとる道をとった。それで選んだ仕事がこの仕事だ。
 この仕事をはじめた当初は、このスタンドにも多くの人が働いていた。宇宙船はひっきりなしに給油に立ち寄り、私たちはこの小さな惑星の上を駆け回って働いた。私たちはみな忙しくも、夢を抱いて陽気に働いていた。
 あの頃の鮮やかな楽しい日々。私たちはみな、地球に頻繁に帰れるような金はなかったので、この小惑星で寝泊まりして暮らした。余暇には、大した娯楽もないところだったが、低重力下でキャッチボールをしたり、スクーターで安全ハーネスもつけずにデブリ帯を飛びまわって競争した。
 毎日、発着場から飛び立つ宇宙船を見上げながら、この日々の仕事を続けた先には、いつか自身が見送られる側になる日がくると、あてもなく信じていた。

  #

 手元の酒をひとくち飲む。何十年も飲み慣れた味。これ以外の酒の味など忘れてしまった。窓の外から上の方に目をやると、遠くに太陽が浮かんでいる。これまでの人生で見たことのない、不吉で禍々しい真っ白な光を放っている。

 あの頃、私たちが熱意をもって働いていたのも、数年のうちに過ぎなかった。
 給料は上がることはなく、むしろ下がり始めた。人類の活動の舞台が、地球低軌道から月へ、さらには火星へと離れつつあり、スタンドに寄る宇宙船の数は減っていった。そのせいで、宇宙船乗りになるための資格を得る難度と費用はどんどん高くなり、資格のための資格やそのための資格が求められ、そこらの大学を出たものが、小惑星の上でひとりで勉強してとれるようなものではなくなっていった。
 人類の地平をより遠くへ拓く。それが人類社会のスローガンだったが、その「人類」は、種としての人類のことであり、金持ちのことであり、私たちは含まれてはいなかった。
 そんなことを口に出す者はいなかったが、年を経るにつれみな気づいていった。いや、初めから気づいていたが、知らないふりをしていただけだろう。私たちの夢見がちな熱は、年々と冷たい宇宙空間の中へ放射されて、冷めていった。ひとり、またひとりと仕事を辞めて地球に帰っていき、いつしかこの星の上にいるものは、私だけになっていた。

 こんな年まで、私はこの星にしがみついている。空いたグラスにガスが酒を注ぐ。その酒のボトルのラベルには、地球の南国の青い海と白い砂浜、あと目の前のものと違って幸福そうな赤い太陽が描かれている。

 私はあれからも、ひとりになった星の上で働いていた。いや、ガスもいたか。地球に戻ろうかとも思ったが、少しでも宇宙に近いところにいることを選んだ。
 そんなある日、ひとつの宇宙船が着陸した。小型の宇宙船で、火星観光周遊の帰りに機体トラブルでこの星に立ち寄ったのだった。機体の修理で、乗客は数週間この星に滞在することとなった。
 その客の中にいたのが、あの女性だった。年が近かったせいもあるだろうか、彼女はどうしてか私のことを気に入り、話が弾んだ。
 彼女は聡明で、いつも宇宙の果てを凛と見据えていた。宇宙の地平を拓く宇宙船乗りになるための、知性と資格を持ち合わせていた。私は宇宙船の推進器や燃料の話を、彼女は月や火星の話をして、私たちは数週間の多くを共に過ごした。
 ある日は私の操縦でスクーターに二人乗りをして、デブリ帯を駆けた。またある日は、彼女らの宇宙船の修理部品を調達する名目で、地球の街に降りた。その街に降りたとき私が目にしたのは、数十年ぶりの海だった。どこまでも何もない水平線。あの先にあるものは、何だろうか。
 私と彼女は、部品調達にかこつけて、3日間をその海辺の街で過ごし、たくさんの話をした。彼女と話をしているうちに、私の心によみがえるものがあった。それは、宇宙空間で冷え切った私の炉に、小さな火を灯した。
 宇宙船の修理は済み、数週間はたちまち過ぎた。そして彼女は去り際、一言だけ残していった。
「待ってるね」
 彼女と宇宙船は私の星から飛び去っていった。

  #

 足元の振動で我に返る。棚の物がごとごと音を立てて揺れ、グラスに残った酒が波打っている。どこかで小さめの燃料タンクが爆発したのか、その振動かもしれない。
 もう外にでるのは危険だ。先ほどまでつけていたテレビが消えた。電波がとどかなくなったのだろう。あるいは、地球では放送をやめてしまったのかもしれない。慌てて外を見に行こうとしたガスを制止する。今さら騒いだところでどうしようもない。
 グラスに残った酒をぐいと飲み干す。ボトルは空になってしまった。こんなに飲んだのは久しぶりだ。ガスがその双眼鏡のような何の変化もない目で、あきれたように私を見る。

 彼女が去って、私はまた小惑星の上でひとりとなった。ただ、それまでとは違って、小さな熱が胸にあった。
 私は給油に寄る宇宙船の数を増やすため、扱う燃料の種類を増やした。これまでは一般的な宇宙船の燃料のみを売るだけだったが、旧型の船や特殊な船は、使う燃料も特別なことがある。これによりいろいろな船への給油ができるようにした。
 これまでとは違った仕事もこなした。宇宙空間でガス欠となり立ち往生した宇宙船がいれば、小型宇宙船で燃料タンクを牽引して給油へ向かった。地球軌道上で姿勢制御用の推進剤を失い役目を失った人工衛星があれば、それを安く買い取ったのちに衛星まで給油に向かってそれを整備し、中古衛星として売った。
 扱い始めた燃料は、貯蔵が困難で爆発しやすかったり、毒性が高かったりした。知らない船との宇宙空間のランデブ給油は衝突のおそれが高く、地球低軌道はデブリだらけな上に地球の重力から逃れられなくなる可能性もあった。危ない目には何度もあってきたが、なんとか今日まで生きてこられた。

 こういった仕事は、収入の足しにはなったが、それでも宇宙船乗りの資格を得るための費用には程とおいものだった。スタンドに寄る宇宙船の数はさらに減った。人類の留まることのない探求により、宇宙船のエンジンが従来の化学推進から、それより桁外れに燃費のよい核推進へと急激に移行していって、化学燃料の給油がいらなくなったためだ。これまで地道に経験し、学んできたことは、あっという間に陳腐なものとなった。人類はますます地球から離れていき、主な舞台は、月から火星となり、さらに木星をも手に入れつつあった。
 いっそ地球上での仕事に就こうかと考えた。ただ、地球に降りて数日で、それもできないことを知った。低重力の環境に長くいすぎて衰えた私の体は、地球上の重力では満足に活動ができないものとなっていた。
 この小惑星の暗い空に、ひときわ大きく輝く地球や月や火星たち。彼らの輝きに、私の手が届くことはない。私という星は、最後のその日まで、この小さな惑星の重力から逃れられずに周り続ける衛星であった。

 その頃の人類は、その冒険心だけでなく、もう1つの大きな理由で地球を離れようとしていた。太陽の異常活動。気まぐれに、その見えない燃える舌で一瞬だけ地球をなぞって、地球の表面の人々をもれなく灼く未来。それを、突然かつ正確に知ったのだった。人類は、太陽系の外へ外へと情熱を傾けてきた結果、その背後で太陽が不満そうにしていることに長く気づくことができず、それを知ったときにはできることは大して残っていなかった。
 地上では、一時は大きな騒ぎになった。テレビは、今にも人々の間で破壊と略奪が起こると毎日わめきたてた。金持ちたちは、宇宙船やその乗車券を買い求め、あるいは地中や海中深くにその日から先も生き延びる術を買った。
 ところが、騒ぎは驚くほど早く落ち着いた。予想された大混乱は、どこにも起こらなかった。ほとんどの人々は、地上でこれまでと変わりのない生活を営み、その日まで穏やかに暮らすことを選んだためだ。宇宙とか、社会とか、そういった自身の力の及びようのないあまりに大きなものを、静かに見つめ受け入れることが、いつしか習性となっていた彼らにとって、とりたてて騒ぐほどのものではなかった。
 そして、地球の近くにいる月とこの小惑星もその日に灼かれる。
 今日。人類はこの恐ろしい宇宙の災害をも、その聡明さと冒険心で乗り換えて生き延び、さらに遠くを目指すのだろう。そしてその「人類」には、私たちは含まれていない。

  #

 今や太陽は見たことのない禍々しい色となり、この小惑星をもひとなめにしようとしている。燃料を管理するいくつものブザーがけたたましくなり始めたので、ガスにそれを静めさせた。この部屋の中の環境には、まだ大きな変化はない。でも、そのときは近づいていた。
 これまでの人生、手に入らなかったものがたくさんあった。それでも、自分なりに懸命にやってきて、そう悪いものではなかった。最後は愛着のある発着場の見える窓際で、目を閉じて、穏やかにその時を待つこととしよう。

 目を閉じようとしたそのときだった。ひとつの青い光が、宇宙空間に輝いている。はじめは星かと思ったそれは、だんだんと大きくなってきている。こんなときに宇宙船が着陸しようとしているのだ。
 私は事務所を飛び出して、それを見上げる。発着場はまぶしく輝いているが、熱くはない。宇宙船の形がわかるようになってきた。大きく立派な船だ。それは着陸態勢に入る。ゆっくりと力強く舞い降りてくると、発着場の一番大きなところに着陸した。船は自信に満ちた力強さでそびえ立っている。きっと木星、いや土星までも行けるに違いない!
 側面にあるタラップが降りてきくると、そこから人がひとり降りてきた。急いで船に駆け寄る。その人もこちらに近づいてきて、その背格好にどこか見覚えのあるものを感じる。いや、まさか。
 私とその人はついにお互い顔が分かるところまで近づいた。間違いない。私の知るその彼女は、右手をすっと差し出した。そして、空いた左手でヘルメットのバイザーを開けると、その中には、長い間焦がれてきたなつかしい微笑みを浮かんでいる。彼女は口を開き―――。

 ガチャンと何かが割れる音がして、はっと目を覚ました。足元には酒のボトルの破片が飛び散っている。別々の破片に張り付いてばらばらになった、あの南国のラベル。窓の外は、空っぽの発着場が、燃えるように輝いている。
 窓の外で大きな爆発音がした。大きな燃料タンクが吹き飛んだのだろう。ボトルが割れたのも、何かの爆発の振動のせいで机から落ちたのだろうか。
 視線を横にやったとき、そこにガスが、その変化も何もないガラスの2つの筒で、私の目を真っ直ぐに見据えていた。その目をみて、ボトルの破片を見る。分かった、分かったよ。まったく、何も言わないくせに、そんな目だけはしやがる。
 私は急いで防護服を着ると、ガスを引き連れて事務所を飛び出す。おそろしく熱い。うっとうしいほど燃え上がった太陽が見下ろしている。あと数時間、いや1時間、もしかしたら10分もないかもしれない。

 まず私の個人用宇宙船に、そしてそれに必要な燃料の入ったタンクに目をやる。よし、まだ大丈夫そうだ。私の宇宙船に、大急ぎで燃料を満タンにする。大量に降り注ぐ見えない粒子が、私の体を突き刺している。ありったけの予備タンクをかき集めて燃料を入れ、それらを船に積み込んだ。
 ガスと2人で操縦席に乗り込む。急いで操作盤を開いて、航行の設定をする。自動航行。今すぐ発射。行き先、木星。これでよし、あとは。私だけ操縦席を抜けると、ガスを残して船を降りる。すでに死にかけの荷物など、乗せる必要はない。
 時間がない。予冷シークエンスは最小限にして、エンジン始動。宇宙船が、長年使われずにいた機体を身ぶるいさせ、積もった塵を払い落とす。膨大な量の燃料と酸化剤が、タンクから供給され、ターボポンプで強力に押し出され、いくつかのバルブを通り、エンジンへ向かう。エンジンの中では、燃料と酸化剤が出会って混ざり合う。着火の火花が飛ぶと、混合気が一気に燃え上がり、冷えきったエンジンに火が入る。莫大なエネルギーを持って生まれた炎は、ノズルを通じて超音速で外へ吹き出し、そのエネルギーを推進力に変える。
 周囲に砂塵が激しく舞い上がり、機体が浮き上がる。古くさい化学反応の炎は、背後の太陽の光を飲み込む明るさで輝いて、機体を少しづつ地表から離していくと、ついにはこの小さな星の重力を振り切って機体をどんどん遠くへ運んでいく。その間、操縦席のガスは私には1度も目もくれず、はるか遠くを見据えていた。

 宇宙船の光は小さな点になり、見えなくなった。やがて、目の前は一面の光で真っ白になった。

<終>

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