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大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第四章 大田南畝没後二百周年に遭う』

 

二〇二三年四月二十九日から六月二十五日まで墨田区は押上の「たばこと塩の博物館」にて『没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界』が催されている。私はそこに赴いた。五月九日火曜日のことである。天気は終日快晴にしてやや汗ばむ程度の気温であった。

この展覧会は彼の没後節目となる本年に合わせて個人蔵、大学蔵、或いはその他蔵、問わず様々な場所からコレクションを集めた展示内容となっている。セクションは十個に分かれていた。「南畝の文芸」、「情報編集者としての貌」、「典籍を記録・保存する」、「歴史・地理を交渉する」、「公務に勤しむ」、「時代の記録・証言者として」、「雅俗の交友園」、「南畝とたばこ屋(平秩東作)」、「南畝とたばこ屋(蘭奢亭薫)」、「南畝の家族」である。

この展覧会のうち(勿論、彼のファンとしてはその全てに興奮したのではあるが)最も深く感心したものは『一話一言』、『大田南畝印譜』、『武江披砂』、『高尾考』、『崎鎮八絶』、『鍬形蕙斎画 遊女と侍図』であろう。

『一話一言』は独立行政法人国会公文書館所蔵であった。これは南畝が約四十年に渡って書き続けた随筆集である。自分が見聞きした伝聞を記したものだ。鴎外の短編小説「ぢいさんばあさん」は『一話一言』に収録されている「美濃部伊織并妻留武始末書付」が原作である。かつて新日本古典文学大系の月報で知り得た私は、どんなものか気になっていたがようやく現物を見られたのだ。南畝の字は緻密にして美麗。一時期、荷風がその書体を必死にものにしようとしていた理由が自ずと明らかである。

『大田南畝印譜』は大妻女子大学図書館所蔵のものであった。彼の印鑑集とでもいうべきだろう。自分が書いたという証明を行う印鑑は文章作成の上で最も重要なものだと考える。十数個の印鑑によって押されたその紙から実に様々な彼の一面を垣間見ることが出来る。まさにオリジナリティーに富んでいるのだ。

『武江披砂』は江戸及び武蔵野の地誌である。その前身の『江戸砂子』に漏れたものが記載されているようだ。地図が書いてあった。勿論、南畝手ずからのものだ。それも、また実に詳細に迷いなく書かれている。小路やお茶屋まで、まるで文字だけで構成されたジオラマの様であった。

『高尾考』は慶應義塾大学図書館所蔵のものだ。これは現物以上に鴎外がかつて所蔵していた、という事実及び鴎外の所蔵印に感動した。

『崎鎮八絶』は東京大学総合図書館所蔵のものだった。長崎にいた時のものだ。その時の感情を七言絶句に込めたものである。向かって左側には漢詩が、そして向かって右手には埠頭に立ち並ぶ日本家屋とその頭上に翻るオランダ国旗。絵には色が塗られていた。浮世絵というよりも洋風画・亜欧堂田善の下書きの様なハイカラさ。カメラのない時代、文人墨客が絵をも描けるという証左というべきではあるまいか。

『鍬形蕙斎画 遊女と侍図』が所蔵されているのは摘水軒記念文化振興財団。鍬形蕙斎は建築史家・陣内秀信曰くスカイツリーの展望台と同じ目線で描かれた「江戸一目図屏風」で有名だがそんな絵師とのコラボレーション。好色な彼らしい一文が添えられている。「かゝるさんやの草ふかけれど君がすみかと思へばよしや」云々。その絵も相まって、すぐにでも物語が動き出しそうであった。

以上、私の感心したものを列挙した。先述したがどれも良い。全てに共通することはいかに南畝が書く人であり又、読む人であったか、という事に尽きる。吉見俊哉は「才能とは執着である」、そう言ったが、彼は最後の最後まで知識への執着心を絶やさぬ人であった。それは何故か。遊びを真剣に楽しむためではあるまいか。ホモ・ルーデンスとは彼の様な人を言うのではないだろうか。私はそう思う。

浅学の一書生に過ぎない私は、遊びの本質を彼に学んだのである。

第四章 完

是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。